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City of tiny lights

 今夜は彼が尊敬してやまないシンガー、サミー・ラヴィアンのライブの日だ。サミーは素晴らしくソウルフルな歌声を持つ黒人のシンガーでこの小さな街に来るのは本当に久し振りだった。柔らかな楽曲から時に毒のあるものまで様々な表情で歌う魅力的なシンガーだ。

  それなのに、彼はさっきから苛ついて煙草を何本も揉み消していた。開演時間は午後7時。しかしもう6時半を回っていたので会場に急がなければ間に合わない。チケットは持っている。だが待ち合わせている彼女が来ない。だからこんなにも苛ついているのだ。午後6時50分になった時、痺れを切らして席を立った。 店を出る時、カウンターにいたアルバイトか何かの青年に伝言を頼んだ。
「すごく美人でちゃらちゃらした派手な女が来たら、おまえの男が1時間半待ってたが来ないから別れるって伝えてください」
 青年は困った様子で「たくさんのお客様がいらっしゃるからどの人だか……。」と口ごもった。
「女が君に何も聞かないようならいい」
 そう言って店を出て行った。

 しばらくすると店に先ほどの男に言われた通りの女がやってきた。彼女は店内を見渡してから青年に言った。
「ねえ、紳士ぶってるくせに神経質そうな男来なかった?」
 青年はその表現に吹き出しそうになったが恐る恐る男に預かった伝言をを女に告げた。
「そう、ありがと」
 女はさほど気にしない様子で微笑みさえ浮かべて店を出た。彼女は猛スピードで車を走らせて会場に向かった。どちらにしても彼はチケットを持っているのだから大丈夫だろう、と思いながら。

 彼女が会場に着いたのは午後9時半を過ぎていた。会場からはぞくぞくとサミーのパンフレットやグッズなどを持った連中が出て来た。その中に彼の姿を見つけた。同時に彼も彼女を見つけた。最初はライブを思い出していたのか夢見心地の顔をしていたが彼女の顔を見つけた途端、むっとした表情に変わった。彼女はいかにもパーティー帰りという羽のついたキラキラしたものをたくさんつけた赤い色の長いタイトなドレスに、同じような色の高いヒールの靴を履いていた。
「どうして来なかったんだ?」
「今来たわ」
「オレの言った時間にだ」
「だって3時まで騒いでたんだもの。みんな盛り上げてくれるから悪くって。これでもがんばって切り上げて来たのよ」
 彼女の言う3時は午後の3時だ。
「パーティーだから遅れたら先に行っててって言ったじゃない」
「それは判ってるさ。ただまさかステージが終わってから来るとは思ってなかった」
 もちろんそれで彼は先に来てサミーのライブを無事に聴くことができた。しかし彼は会場で待ち合わせていたことにあくまでもこだわった。
「ごめんなさい」
 彼女は小さく呟いた。
「帰る」
 彼は、さっさと歩き出した。
「送るわ」
 彼女が来ない苛つきのまま、待ち合わせた店から結構な距離を歩いて会場に来たので内心へとへとだった彼は当然だ、と言わんばかりに助手席に乱暴に座った。サミー・ラヴィアンは彼にとって幼少時代からの憧れのシンガーだ。レコードも擦り切れるほど聴いて実際擦り切れて何枚もレコードを持っていて、CDも買い、カセットテープも買った。そのテープですら何本も切れるほど聴いた。今宵観たサミーは年齢的にかなりパフォーマンスがきつそうだった。今夜のライブでも後半立っているのが苦しそうで、もしかしたら最後のツアーになるのでは、と、まことしやかに囁かれていたのも知っている。

「ねえ、どこまで怒ってるの?」
 窓を開けて気持ちの良い風を車内に入れながらもずっと口をきかない彼に尋ねた。
「オレの機嫌が直るまでだ」
「おいしい夕食を作るわ。機嫌直して」
 彼は答えなかった。
「サミー・ラヴィアン、良かった?」
「……もちろんだ」
「あなたが聴けて良かった。チケットひとりずつ持ってて良かったわ」
 そんな問題じゃない、と心の中で彼は毒づいた。

 彼女は部屋で美味しいステーキを焼いた。つけ合わせもいつもより丁寧に作られていた。いつもの彼女なら焦げ付いたフライパンでも平気でソーセージを焼いたりして彼が「焦げは癌の素になるんだぞ」と咎めても彼女は「年をとってから死ぬよりいいわ」なんて、はすっぱな返事をしていた。今夜はせめてもの償いと言う訳だ。
 彼女は彼のテーブルの正面に座った。
「今夜のことは本当に悪いと思ってるの」
 彼はその言葉を聞いてナイフとフォークを置いた。
「どうしたの?」
「帰る」
「どうして!?」
「自分を罪深く思っている女と、まだそれを許せない男が一緒にいるべきじゃない」
「待ってよ」
 彼女が追うより先に目の前でドアが閉まった。彼女はそのまま彼を追って外に出た。しかしパーティーが終わってすぐに来たという彼女の恰好、それはあまりにも無防備なものだった。

 彼はとぼとぼと川沿いを歩きながら、ふと足を止めて川を眺めた。
 確かに彼女の言う通りだ。自分はサミーのライブが聴けたのだ。何をそんなに怒ることがある? 誰しもがそう思うだろう。しかし彼にはもうひとつの計画があった。それが台無しになったため勝手に怒ってしまった。冷静に考えたら彼女の出席していたパーティーとは彼女自身の誕生パーティーだったのだ。そこに参加もしなかった自分がなぜあそこまで大口を叩けたのか。すっかり頭が冷えて冷静さを取り戻してくると、急に彼女にすまない気持ちで一杯になった。まだ今日は彼女の誕生日だ。彼は今来た道を戻った。

 その時、女の微かな悲鳴が聞こえた。痴話喧嘩だろうか? その声をまったくの他人事として捉えていた彼だが、彼女のマンションの前まで来た時、片方だけ靴が落ちているのを見つけた。派手な赤いヒール。それは間違いなく今日彼女が履いていたものだった。彼は慌てて辺りを見回した。ざわざわと生暖かい風が嘲笑うように彼を包んだ。この辺は辺鄙で静かな一帯だったが、一歩通りを抜けるとヤバイ連中などたくさんいる。彼は靴を鷲掴みにして彼女の名前を呼びながら部屋に行った。彼女の部屋のドアは開きっぱなしで途中引きずられたような跡があった。

 急いで警察に連絡すると、ここら辺の悪い少年グループの名前を告げられた。時間といい、彼女の格好といい、餌食にしてくれと言わんばかりじゃないか、と言われた。
「そんな説教はいい! 捜して欲しい! 今すぐ!」
 彼は靴を持つ手が震え、蒼白になっていた。どこかのバーでは今日聴いたばかりのサミーの曲がかかっていた。ライブに行った誰かがリクエストしたものに違いない。毒のあるサミーの曲。

 どんな街にも 秘密はある
 夜になると 表情が出てくるのさ
 オマエの恋人を 引き裂く 合図
 やわらかな 狂気は 次第に包んでくる……

 サミーのフレーズが頭にぐるぐると絡み付いて離れない。彼はとにかく走り回った。怪し気なドアがあればすぐに開き、ひたすら彼女の気配を追って捜した。しかし、見つかったら必ず連絡をするから部屋で待っていてください、と警察に停められた。歯痒かった。何時間経った頃だろうか、警察がひとつの情報を手にした。やはりこの街の不良グループの仕業らしい。彼は耳をそばだてて場所を盗み聞きし、黙っていられなくて警察よりも早くその場所に急いだ。
 もう夜が明けてきている。その時グループの一味だろうか。黒の皮ジャンを着た顔や体のあらゆる場所にピアスを開けた若い男が朝食らしき紙袋を持って呑気に歩いていたのを見つけた。彼はすぐさまその男の腕を掴み、壁に押し付けた。
「なんだ、おまえ!」
「女はどこだ」
 男は彼を見て、にやっと笑い「あの女の恋人か。へえ、いい女だよな」と言った。彼は怒りに任せて殴りつけようとしたが、後ろから警察が来て止められた。そして皮ジャンの男は捕らえられた。警察が仲間の場所を聞き出している間に男が落とした紙袋を彼は拾った。皮ジャンの男の顔つきが変わった。
「触るな! 大切なものなんだ!」
 皮ジャンの男が叫んだ。警察が袋を開けると、その中には小さなケーキが入っていた。プラスチックのケースに入っていたケーキは無事だった。彼は丁寧にその袋を男に渡した。ケーキはふたつ入っていた。それを見た彼は、絶対に彼女は無事だと思った。男はすぐに連行されたがアジトの場所は教えてくれた。皮ジャンの男は、男と言うよりも少年と呼ぶに相応しいような幼い顔をしていた。

 その少年が言ったのは、海がすぐ傍にある倉庫だったがもう既に静まり返り、誰もいないようだった。彼はたくさん並ぶ灰色の倉庫を警察の言うこともきかずに片っ端から開けて行く。
「君! 気持ちはわかるが危ないから我々に任せたまえ!」
 気持ちがわかるだと? 何がわかるって言うんだ。なぜ彼が昨日彼女に対してあれほど憤慨したのか。ライブに一緒に行く約束をした時のことを思い出した。

「サミー・ラヴィアンが来るのね。あなた、とても好きでしょう」
「ああ、おまえに聴かせたい。とても素晴らしいんだ」

 そんな話をした。その時、彼女は彼の髪を撫でながら優しい瞳で彼を見つめていた。40代の半ばになってもサミーの話ばかりしていた彼に文句ひとつ言わず、包むように一緒にいてくれた彼女と、その時一緒になろうと決心した。それをライブの後に言うつもりだった。

 彼の足が縺れて転んだその先で物音がした。彼は這うようにその場所に向かった。思い切りその倉庫の扉を開けると彼女が半裸の状態でうつ伏せになっていた。彼は声にならないような悲鳴をあげながら彼女の元へと走った。震える手で彼女を抱きかかえると息があった。生きている。
「大丈夫か!? しっかりしろ!」
 抑えようのない震えが彼を襲い涙を流した。その涙が乾いた土のついた彼女の頬にぱたぱたと落ちた。その涙で彼女がそっと目を開いた。彼の姿を見て一言言った。
「……ごめんね」
「謝らないでくれ!」
 彼は彼女を力いっぱい抱きしめた。ぐったりと力の抜けた彼女を抱き寄せる彼の耳に救急車のサイレンの音が響いた。

 彼女は昨夜、彼を追いかけたが見失って部屋に戻る途中の暗い路地でひとり取り残されてしまった。そんな彼女の周りには数人の男が取り囲むようにしていた。彼女は部屋まで逃げようとして必死に走ったが高いヒールの靴を履いた足をくじいて転び、そのまま口を塞がれ、半ば引きずられて車に乗せられ、この倉庫に連れて来られた。服は車に乗せられて抵抗した際に破れたのだと言う。犯人であるグループは皮ジャンの少年の供述で即座に逮捕された。未成年の少年ばかりだった。彼女が病院で検査を受けている間、廊下で待っていた彼が看護師に呼ばれて病室に入った。彼女の頬は殴られたのか腫れていた。それでも彼を見て微笑みを返そうとした。
「無理しなくていい」
 彼は彼女の横に腰を下ろして髪をそっと撫でた。
「……すり傷はいっぱいあるけど大丈夫よ。あたし何もさせなかったもの」
 彼は男のひとりが落とした紙袋を思い出してどういう意味なのかを訊ねた。
「ケーキを頼んだの。今日は私の誕生日なのよ、って教えて」
 彼女は何かを思い出して柔らかく笑った。
「あのグループのひとりの男の子のお母さんが偶然、あたしと同じ誕生日だったらしいの。急に思い出して泣きそうな顔になったから、じゃあケーキでお祝いしましょうって言ったのよ。途端に子供の顔になったわ。いいの? って私に聞くんだもの。だから、もちろんよ、待ってるから私の分もお願いって言ったの。きちんと買ってきたのね。偉い子。親孝行だわ」
 微笑む彼女の顔が痛々しかった。彼は爪の折れた彼女の指にキスをした。やはり涙を押さえ切れなかった。そして勝手に怒っていた理由を話し、ゆっくりと彼女の髪を梳きながら言った。
「結婚しよう」
「うん」
 彼女もとうとう我慢し切れず、彼の胸に体を預けて泣きじゃくった。どれだけ怖かったことだろう。無事で良かった。生きていてくれて良かった。彼は心からそう思い、今在るすべてに感謝を捧げた。

 後日、それでもふたりは些細なことでケンカばかりしていた。大抵は朝に弱い彼女がぼんやりしていてフライパンから煙が出ていたとか、ひらひらの服でコーヒーを入れて袖がカップに浸かっていたとかそんな類だ。
「何よ、神経質ね」
「君が大雑把なんだ」
「ふぅん、大雑把な女は嫌い?」
 こんなふうに聞かれると彼は降参してしまう。性格は正反対なふたりだが愛する気持ちは変わらない。


《 Fin 》
2005年5月13日

解説
2005年に書いたものを必死に読み返し、何とかおかしなところがないか探しましたがこれ以上は無理でした。多分かなり綻びのある物語だと思います。我ながら無茶をしました(笑)大澤さんの曲はハードボイルドな作品も多かったのでちょっとかっこつけて書いてみたくなったのです(結果的に自爆していますが)ちなみにこの掌編のタイトルは大澤さんの曲ではなく彼が大好きなアーティスト、フランク・ザッパ(Frank zappa)の曲のタイトルを拝借しました。架空のシンガー、サミー・ラヴィアンの「毒のある方の曲」としてイメージしました。

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