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自己紹介は終わらない

去年の冬、氷川きよしさんは「きよし君にはさよなら。きーちゃんとして、私らしくという感じです」と自らの今後について語った。
"きよし君"とは、これまで築いてきた演歌の貴公子の姿。違う顔の自身を"きーちゃん"と表現した。

この報道を受けた当時、私は動揺することも心を動かされることもなかった。「ふーん。そうなんだ」と思ったくらい。本当にそれ以外、何も感じなかったのだ。

まだまだ数は少ないにしろ、昨今の日本で芸能人のカミングアウトは衝撃的なものではなかった。

彼らの今までの苦悩や葛藤について「へえ。大変だったんだな」とは感じるものの、自分とは関係の無いものとして受け止めていた。

私はLGBTQについて理解があるわけでも、身近に感じているわけでもない。ただ、無関心であっただけで。

そんな私が、氷川さんの歌を聴いて、ぼろぼろ涙を流した。

6月5日のMステで、氷川さんはクイーンの名曲である『ボヘミアンラプソディ』を日本語で披露した。

そのとき私は圧倒されたのだ。テレビから目を逸らすことなんか絶対に出来なくて、まばたきすらも忘れたくらいだった。気付いたら、両親のいるリビングで涙をぼろぼろ溢していた。

そこで歌われた『ボヘミアンラプソディ』は、氷川さんの生き様そのものだった。
そして自分も重ねてしまったのだ。自らが守ってきた虚像と、本当は打ち壊したい幻想について。

ママ、殺しちゃった。
銃口向けたら男は死んだ。
ママ、これからの人生だっていうのに。
ママ、悲しまないで。僕が帰らなくても

母への後ろめたい気持ちから始まる曲。
ここで死んだ男とは、今までの自分のことだろう。ママが今まで我が子だと接してきた「男」である「僕」は、きっともう帰らない。

その後、歌は自らを卑下したものとなり進む。

誰も嫌いな貧しい男、
貧しい家の貧しい男、穢れた罪を払いなさい。
逃して、逃して、逃して。
ビールズパブ、悪魔を取り除いて。
どうぞ。For me.

あれだけ沢山の女性のファンがいたのに、自らを「誰も嫌いな貧しい男」と歌った氷川さんの気持ちを思うと、心が張り裂けそうになった。

氷川さんは以前インタビューで、「男らしく生きて欲しいって言われると、自殺したくなっちゃうからつらくて」と告白していた。

「誰も嫌いな貧しい男」をいちばん忌み嫌っていたのは、氷川さんだったのかもしれないな。

余談だけど、LGBTQは以前、「精神障害」であると分類されていた。
興味がある人は、優生保護法やロボトミー手術について検索したらいい。
それほど遠くない昔、性同一性障害は「悪魔が取り憑いている」と差別されていたのだ。

ここまで曲はさながらミュージカルのように展開されるが、突如ロック調に変化する。

石を投げつけ唾を吐くのか?
それでも愛しているというのか?
Oh ベイビー、 そんな仕打ちをベイビー。
出ていかなくちゃ今すぐ、逃げ出そう

きっと石を投げつけたのは、「カッコいい男」だった過去の自分を持て囃して、焦がれていた女性に対する言葉だろう。

そんな仕打ちを、と声を震わせながら歌っていたのが忘れられない。

私が知っているのは、確かにこの目で見たのは、『ボヘミアンラプソディ』を力強く歌った氷川さんだけだ。
だからどれだけ歌詞の意味を解釈しても、本当の気持ちなんて分からないし知る術もない。

だけど、それでも凄く刺さったものがあった。あの感動が、1週間経っても忘れられないのだ。それが氷川きよしの歌唱力であり、生き様なんだと思った。

私が氷川さんの歌にこれだけ心を揺さぶられたのは、自分自身も世間に生きづらさを感じているからだと思う。

私の身体の性は女だし、心の性も女だ。
そして好きになるのは男性だから、性的指向は男性に向いている。
だから私はきっと、性的多数者に分類される。
そんな私でも、ときどき生きづらいと悩んでしまうのだ。

私服にスカートが多く、人見知りで初対面の人には大人しく、重度の内股で運動神経が悪く、手を顔周りに持ってくる癖がある私は、「テンプレートの女の子」として見られ、悪い時は「ぶりっ子」であると評価される。

だけど内面まで掘り下げると、私は親譲りで気が強いし、漫画も女の子が読むような恋愛物より、バトルが多くて沢山血が流れるような少年漫画の方が好き。LINEで日常会話を続けるのも正直得意じゃない。ついつい買ってしまう可愛いスタンプや絵文字も、買っただけで満足してしまって、正直あまり使わないでいる。

外見を女の子らしく可愛く見えるように取り繕うのは好きでも、中身までそれに伴わせられる器用さを、残念ながら持っていない。

本当は、女の子らしい女の子にも、軽い悪口を叩かれながらも面白がってもらえるぶりっ子にさえも、私はなりきれなれないんです。貫き通せないんです。ごめんなさい。

そして私がいちばん似合わないと言われるもの、知られて男の子にガッカリされるのが「煙草」だ。
ヘビースモーカーだった祖父と、ビートルズに憧れたのが喫煙のキッカケだった。

時に隠しながら、時に辞めたフリをしながら、喫煙者になってからもう3年が経つ。

好きな人や彼氏ができるたびに、煙草はやめた。(フリをするだけの時もあった)

自分だって吸うくせに、彼女である私にだけ「煙草吸うのやめてくれない?」という元彼を嫌だなと思っていた。

煙草を吸う私を見て「似合わへんと思うけどなあ」と言ってくる男の子をウザいと思っていた。

だけど自分が素敵だと思う男の子に嫌われたくなくて、煙草を吸うことを隠す自分は、もっとずるくて気持ち悪い。

周りが評価する私と、こうなりたいと憧れる私と、本当は捨てたくても捨てきれない私がチグハグで、自分が誰なのか分からなくなる時がある。

全て私なのだ、と思えたらいいのに。

23年生きてきても未だに少女趣味な私は、花や果物モチーフで作られた小物を見るたびに心をときめかせている。
平和主義でいられない私は、自分の意地や哲学に反していると感じる度に、思わず相手に噛み付いてしまうことがある。
流行りのお笑い芸人のコントで涙を流してバカみたいに笑いたい時もあるし、ニュースで取り上げられる政治の問題を真面目腐った顔で語りたい時もある。

私は、お姫様になりたい、ヒーローになりたい、でも時々コメディアンにもなりたいし、少し悪ぶってヴィランにもなってみたい時もある。

「この人は○○」「あの人は□□」なんて、誰も決められないのだと思う。自分自身のことさえ、上手く言葉で表現できないのだから。

「私は○○で、□□で、△△で、◎◎で…」

自己紹介は終わることがない。死ぬまで、ずっと。永遠に。
人を一言で分類したり語ったりすることなんて出来ない。
私だけじゃなくて、誰もが。

初めまして、こんにちは。
あなたのことを教えてください。

初めまして、こんにちは。
私について知ってもらえますか?

自分や相手のことを知る努力を怠けない人間でありたい。



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