私の変な不妊治療 その13「たまにはまじめな話を」

花子です。ご覧くださりありがとうございます。ここでは妙齢の女性が不妊治療中で見つけた、悪くないなあと思うことを中心に色々書いています。

その13です。

「たまにはまじめな話を」

いつもここでは尻の話や牧場主の話をしているのですが、たまにはまじめなことも書いてみようと思います。

ある程度の年齢になれば、好んで叱られにいったり苦労をしに行ったり、みずから辛い目に会いに行くことは少なくなるものだと思います。不必要な苦行はもういらない。自分の落としどころを知る代わりに背伸びして骨折することもなければ、ここにはやっかいなオジサンがいる、と察知すればそっとほほえんで回り道をすることができるようになる。

でも、やっぱり、適度な苦労は人を成長させる。成長というか、苦しんだかわりに何か、あたらしいものを得られるのは間違いない人間のルールのようです。(命とられるほどの苦労は本末転倒、しなくていいですよ。)

私は、残念ながらいまのところ家族が増えてはいません。でも不妊治療体験を経て得たものがいっぱいあって、辛いけどやっぱりやってよかったなあと思うのです。

得たものその1

・「楽」を選択する

ホルモン補充療法をすると人はアホになり、足には4歳児がそれぞれひとりずつからみつき、財布を持たずに物を買おうとします。急激な眠気と午前中の局地的な重力の倍増、はためにはこたつで寝ているだけの苦行。「薬が切れれば治る」「こんなの私じゃない」と言ってみても、それは今の話じゃない。私はこれまで、家事も仕事も、MAXでがんばることが割と普通でした。普通の人がサクサクできる作業が、ふとするとまったくすすまない癖があるため、普段は気を張って余計なことを考えたり思索をめぐらせたりしないよう、めっちゃ集中して頑張ることが常でした。単純作業に弱い。反復に弱い。つい気を抜くと、お花を見たり空を見たり、人のファッションをじっくり見たり、あの人がああいったこういった、どういう気持ちなのかな?こういうふうに接してあげたらどうかしら、フフフなどと、妄想してしまう。まあよくあることだと思うんですが。あ、代わりに自作ラーメンは得意です。

不妊治療をはじめて、前述の理由からMAXがんばるモードにどうしても入れなくなりました。もう仕方ない。「すみません、ここまでしか仕事ができません。」と周りに言いました。周りはとても優しく許してくれ、半分くらいの仕事をして帰る日々。

家事も夫に手伝ってもらい、今ではお風呂掃除など夫担当の家事がいくつかできました。それがどんなにありがたいか。いまでも夫に「ありがとう」「最高」「おかげで細かいことができる」「夢のように快適」など口にしていますが、筆舌に尽くしがたいです。

いままで、「やるか、やらないか」の判断基準が「死ぬほどがんばればできる、ならやる」だった気がします。食後のお皿を洗うことにしても!死ぬほどつらいんだ、眠いしさみいし。

だけど、もうそれをやめざるを得なくて。辞めてみたら、翌朝の台所は汚いけど、楽。まあ、これでいいんだな。という感じがします。夫も怒るわけじゃないし(結婚以来全くそういうことを怒ったことはない)。

そして、身体から響いてくる声のようなものが、「安心した」と言っている。ほっと、ゆるむ感じがある。幸せを感じる。

小さな、ちょっとした水流にもながれてしまいそうな珠をお腹で育てるのに、安心がよくないなんてこと、あるだろうか。

安心って、とてもいいことなんじゃないだろうか。もちろん私は子供を産んだことがない、戦火の下でも命が誕生しているのだから証明はできないけど。

なんとなくですがあのままだったら、「いつか死んじゃってたかもな」と思います。

そして女の人は、自分を幸せにしないといけないんだな、と思います。今までも知ってはいたけど、やっぱりできていなかった。この先子供ができなくて夫と二人きりの家庭で生きてゆく(今私はその想像をすると、とてもさびしい)としても、私は私を幸せにすることを怠ってはいけないと思います。

自分で自分をまったく幸せにしなくなったら、幸せを外に求めてしまう。人に求めて、依存してしまう。依存は穴のあいた袋みたいに、その時は最高でもいつも通り抜けるだけで満たされることがないから。いつもガソリンを求めて、走っていなくてはならない。そんなの泣けてきちゃう。

ささやかなことでいい。「楽」を大切にして、自分で自分を幸せにすることを主軸にして生きていきたい。そうすれば私の目はくもらない。とてつもなくできた、しかも面白い夫と楽しく暮らして行ける。その価値がいつも分かっていられると思う。

苦しい不妊治療を経て、だんだん「楽」を選択できるようになった。それが大きな財産の一つだと思っています。