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節目と決意の話



先日、誕生日を迎えた。
昭和最後の年に生まれた私は、平成と同い年~などとずっと言っていたのに、時代は令和。「平成30年は30歳!」と快適な計算ができていたあの頃が懐かしく、もう自分で年齢を計算するのもイヤになる年齢へとステップアップ(ランクダウン?)してきている。

とはいえまだ「若いじゃん」と人生の先輩方からは言って頂ける、ピチピチの33歳になりました。

人生3度目のぞろ目。うーん。嬉しくない。

年明けと誕生日には毎回目標を立てている私だが、32歳の目標は小さな目標ややりたいことを32個達成する、というものだった。(ちなみに31歳はサーティワンアイスクリームを31個食べるというものだった)
32個中10個も達成できたか怪しかったので、今年はシンプルに「毎月33本の記事を書く」ことを目標にした。

そして、各年齢で結婚や妊娠、出産などもう少し大きいイベント?を色々終えてきた私としては、33歳も何かをする1年にしたいと思っている。
32歳は車を買った。だから33歳は起業をしようと思ってやめた話をいつか書いた気がするが、その後具体的な目標は、未だ定まっていない。

ものすごく努力すれば届くかもしれないけど、でも届かないかもしれない目標を色々考えるんだけど、どれもしっくりこなくて、未だに悩んでいる。悩んでいるうちに日々はあっという間に過ぎ、私は忙殺されながら34歳の誕生日をむなしく迎えてしまうかもしれない。
それはいやだ。

かといって「本を読む」とか「怒らない」とか、そういう日々の目標の延長のようなものもイヤだし、でもだからといって無理にやっぱり起業しちゃえ~というのもヤバい。

私はどうしたらいいのだろうと思うが、タイトルに「決意」とあるからにはきちんと決意表明をしたいとも思う(誰が読むんやこれ)。

だけど私が家を買おうが子どもを産み落とそうが何しようが、結局は私の自己満で、それを振り返って「いや~33歳もいい年でしたね」と思えるのであれば、別にびっくりするような大きなことをする必要もないことも、わかっている。

だからこそ悩ましいというのもあるが、車はまだ乗れるし、家電も元気だし、子どもはもう生まないし、仕事のことは常に考えているし。

やっぱり、決意は私のなかのものとして、しまっておくのがよいのだろうか。達成できなかったときつらいし。。。

ということで(!?)、33歳は

・収入面でやってやる
・SNSでやってやる
・挑戦したいけどできるかわかんないことをやってやる

というどれかを達成できる1年にしたいと思う。具体的な数値とか内容は、自分の中で決まっている。だから、どれも叶えられるように動くし、その答え合わせは1年後。

そんなわけで、33歳もより楽しく、元気に、頑張ります。

終わり


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