才能
才能がある人は一握りだ。
努力は必ず報われる、という言葉があるが、そんなわけはないと思っている。
確かに、やらないよりはマシだ。
私は特に結果主義でも過程を大切にしない人間でもなく、むしろどちらかといえば「頑張ってきた時間は価値として残る」と思っているので、努力について否定はしない。
しかし、だ。
人間には限界というものがある。
一生懸命走り続けたからってボルトにはなれないし、どれだけ文章を書いても文豪にはなれない。
そう、文章力や語彙力、発想力にもセンスや限界があると思っている。
お客さんで「元気のないおばさんさんの書く文章ってホントにセンスがあると思います!」と言ってくださる方がいる。
純粋にうれしい。
とはいえ私は一応文学部日本文学科で日本語学を専攻していたので、人並み以上の文章が書けないとヤバい。
大学院も含めた6年間お前何してたんだ、ということになる。
でも、私は知っている。
自分には小説家のような文才がないこと。
ライターとして専門的な知識がないこと。
語彙力が少ないこと。
「それなり」な文章は書けても、それ以上でも以下でもないこと。
そしてコレが、著作権を譲渡するライティングの場合には非常にウケることもなんとなくわかっている。
マニュアルに沿って、正しい日本語を書けば良いのだから得意分野といえば得意分野だ。
つまり私の文章には個性も何もない。
ここに吐き出す言葉だって、誰が読むのかもわからない。
誰も読んでいない可能性もある。
いやそっちの可能性のほうが大いに高い気もする。
でもいいいのだ。
別に誰のために書くわけでもないし、だから、好き勝手吐き出せばいいと思っている。
とはいえ、もっと才能が欲しいと思うことはある。
好きなことを仕事にしているが、名前が出ることはまだない。
某医療系マガジンの最後に「ライター」として名前がずらっと並ぶことはあるが、具体的にどの記事を書いたまでは公表されていないし。
そう思うと、少し寂しくもある。
ライターという職業はあいまいだ。
自分で名乗れば誰でもなれるし、私だって、初心者よりは稼いでいるけどまだまだショボショボのショボ。
内心「よっぴーさんみたいになりてぇ」「印税で飯くいてぇ」「エッセイ書きてぇ」と思いながら毎晩酒を飲んで悶々としているのだ。
才能才能というが、コネも才能の1種だと思っている。
ほかの人が持っていないものだから。
私には特にコレといったコネはないので、それを使うこともできない。
非常に残念である。
やはり、数をこなして、本を読んで、コツコツと階段をのぼっていくしかないのだろう。
どうでもいいが収入的には今年の目標は達成できた。
来年は、下の子供も保育園に入って時間がもっとできる。
書いて読んで書いて読んで書いて書いてかきまくってやろう。
別に私はプロスポーツ選手でもモデルでもないから、脳みそを使っている限り、生涯現役。
チャンスは5年後も10年後もきっと、転がっている。
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