贄の雨傘
秋雨が翁を打ち据えていた。
その老人、修はこの日も骨組みだけの傘をさしては、訳もなく庭と畑を徘徊する。そんな修の背をひ孫の水作が叩いた。
「なんだい輝美」
「だからママは死んだってば」
「どうしてえ」
輝美とは修の孫娘で、水作にとっての母の名前だ。今はもういない。なのにこうして母の名で呼ばれる、そんな修を水作が敬遠するようになったのは無理もないだろう。それでも水作が修に話を切り出したのは、彼の知的好奇心が理由だ。
「とにかく聞いて、今日社会の授業で——」
それは水作が課外授業で町の資料館を見学した時の話。中でも彼が興味を惹かれたのが雨乞いに用いられたという獅子頭で、ごく最近館に寄贈されたものらしい。曰くある干ばつの夏、八坂神社の神主が若者4人にその獅子頭を被らせ、村一帯を練り歩いた。すると見事にこの村近辺に限って大雨が降り始め、3日続いたという。
水作が訝しんだのは年代だ、これが例えば江戸時代の出来事ならありきたりな民話でしかない。だが実際の展示に記してあった"昭和35年"というのは何だ。
農家ばかりの郊外とはいえ、戦後15年にこうもスピリチュアルな出来事があったとは信じ難く、真相が気になった。当時を生きた曾祖父なら何か覚えているか、そんな水作の目星は当たった。いや、当たり過ぎたと言うべきか。修はやや間を置いて口を開いた。
「禁が解かれたか」
その時の曾祖父の声の重苦しさを、水作は聞いた覚えがなかった。
「蔵に急ぐぞ、あそこにも獅子頭がある」
修は物置蔵へ向かう。水作はぽかんとしていたが、修の遅さにしびれを切らし先回りして蔵に入った。明りをつけると、青白い男らが床で身悶えする様が見てとれた。顔はどれも曾祖父と酷似。
「ひ」
「下がれ輝美」
修が水作を追い越し、男の1人に骨組みの傘を突き差す。
傘を開いた。骨肉が12分に裂ける。
残りの男達が一斉に嗤う。
『久しいな おい 汚らしい贄』
「お前の殺し方、何だっけなあ」
【To Be Continued】
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