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【映画感想】それでも私は『ナチス・バスターズ』という邦題を否定することができない

 ほんの些細なきっかけであった。その映画を観ようと思い立ったのは。師走にさしかかり、年間鑑賞本数が1池ちゃんに近づきつつある中、「そういや今日は映画館に行けそうだな」と思い至ったのが朝の10時頃。それから作品を探しにかかる。やっぱりラストナイト・イン・ソーホーにしようか、それともヴェノムで行くか、そうした具合に上映作品一覧のwebページをスクロールしていた時、ある邦題が目に飛び込んできた。それが『ナチス・バスターズ(原題 : Krasnyy prizrak、英題 : RED GHOST)』だった。


 ナチスバスターズ、どう考えても輸入B級映画だろとスルーすればいいものを、どうしても気になってしまった。だって今令和ですよ、そんな時代、シネコンの上映作一覧の中にナチスでバスターズなタイトルがあったら気になりますよ。気にならんでしょという方はそのバランス感覚を大事にして下さい。しかし軽く調べてみると、これが想像以上にガチの作品らしい。邦題詐称との専らの評判だそうだ。なるほど、これにしよう。午前の回のチケットを握りしめ入室する。そして……大正解だった。

第2次大戦中の、ヨーロッパ東部戦線。ドイツ軍がソ連に侵攻し、モスクワを目前に戦線が膠着していた1941年12月。極寒の戦場で、死神のように跳梁する正体不明の“ナチ殺し”がいた。《赤い亡霊》と呼ばれるハンターの、正体と目的は?そして、少人数でナチス部隊と戦う羽目に陥った、5人の“はぐれロシア兵”たちの運命は?(公式サイトより引用)


 曰く、これは実在した英雄だという。赤い亡霊《レッドゴースト》とは、元兵士らやその子孫の取材から浮かび上がった存在なのだと監督は話している。これは独ソ戦という状況下に忽然と現れた、名もなき英雄譚についての物語だ。

 まず、当のレッドゴーストのキャラが極めて良い。映画は冒頭、ヒットラーに扮したロシア人男がナチス処刑されかけ(なお、この映画のナチス要素の8割はこの偽ヒトラーが担っている)、そこに赤い亡霊が現れナチス殺する、という完璧な導入から始まり、我々の脳髄に赤い亡霊のすご味が叩き込まれる。

 起承ナ殺のプロット、まるで連載小説『レッドゴースト ネオモスクワ炎上』の中の1話かのような質感に一同大興奮。特に注目してもらいたいのはレッドゴーストの顔。ポスターにある通りの、あの幽鬼めいた顔つきが、ダークヒーローとしての説得力を付与する。凄い役者の仕事だ、寡黙な彼は人となりを明かさないが、その一挙一動と胸ポケットの写真が全てを物語るだろう。このヒーロー像の強固さが物語を強くする。

 しかしタイトルコールが終わると一転、英雄はしばらく行方をくらましてしまう。その代わりに、5〜6人くらいのはぐれロシア兵が主役を務める。雪原を歩いたり、キャンプをし、また歩いたり……

 本作は明らかに予算が厳しく、レッドゴーストが出ずっぱりだと予算ゲージが保たないのだ。おいおい大丈夫か、鑑賞中、心の中に暗雲が立ち込め始めたが、すぐに杞憂だと分かった。とにかく会話劇がうまく、展開上ダレる部分も退屈にはさせない。何気ないやりとりから醸し出る兵士達のキャラもい味わいだ。リーダー格のジジイと隻眼ジジイの関係はめっちゃ大好物だし、アル中男の腰抜け加減が愛おしい。画面に映るキャラクター陣は全員魅力的であり、それは敵役であるドイツ兵サイドさえも例外ではない。

 前述の主人公一行がドイツ軍団とエンカウントし、ドイツ軍が悪さを発揮しピンチになり、そこから逆襲するという、流れだが、最後の逆襲パートまでがまあ長い。長いのだが、その長ったらしさが結果的にナチス達を名ヴィラン・チームの座に押し上げた。連中は邪悪を極め、最大効率で鑑賞者からのヘイトを稼ぐが、同時に一人ひとりが血の通った人間である事も提示してくれた。悪の大尉はロシア人を殺して回る傍らサウナに入りたがるし、娯楽に飢える部下らは気晴らしにブタと戯れる。血も涙もない冷血マシーンになり切れず悩む者さえいた。音楽だって聴くぞ。決して「お互いの正義が~」みたいな生ぬるい話ではない。連中もまた『ロシア・バスターズ』という別レイヤーの物語の主人公だという説得力があり、なおかつ悪の恐ろしさを強調させることに成功している。いくら何でも、悪役を描く手つきが私好みすぎる……なんて多幸に溢れた尺稼ぎなんだ……

 あまりにも良すぎたのでナチスこそが真の主人公なのではと錯覚しかけたが、そんなことはなかった。ヒーローはピンチの時にやってくる。突然、あの幽鬼めいた顔の戦士がドイツ兵の綺麗な顔をブッ飛ばす、殺戮者のエントリーだ!

 そこから先は予算ゲージがみるみる消費され、壮大な戦争……と言いたいが、言うほど規模は大きくならず、なんか小さな古民家とその周辺で戦いは完結してしまう。そもそもこの映画の舞台、大体その辺のロシア雪原と古民家のセットの範囲内に留まっているのだから仕方ない。それでもいつ誰が死ぬのか読めない乱戦は緊張感にあふれるし、限られたセットも惜しみなく爆破していくので景気が悪くない。中途半端にCGやVFXをかけたやつより遥かにリッチでCOOLだ。そして物語はクライマックスへ……



 曰く、これは実在した英雄だという。以降の展開への詳細な言及は慎むが、フィクションが人々に与える希望と変化を、この上ない形で描いてくれたと思う。

 戦渦のソ連は過酷を極めていた。戦士を殺すのは銃弾という分かりやすい因果だけではない、ついさっきまで談笑していた怪我人が、目を離した隙に亡き者になる事もある。そういう状況で気休めになるのが英雄譚、あるいは与太話といったものだ。旅の道中、アル中の男が語った。それはナチス兵が捕虜たちに向かって、あの鳥を一撃で打ち落とせたら命は許してやると言い放った時のお話。次々と失敗する他の捕虜たちを尻目に、ロシア人の男はウオッカを決め込むと見事に命中させた……赤い亡霊もまた、そうした寓話の一つだったのではないか。

 人々は、そういったお話を語り継いでいく。それは口でのみならず、行動によってだ。ロシア人もしたたかなのだ、彼らはレッド・ゴーストを都合のいい神様と扱わず、やがては自ら立ち上がるようになるだろう。私は、あの一連のラストシーンの興奮を、なんと言語化すればいいのだろう?

 愛国色の濃い作品だが、根底にある精神は多くの人に刺さるお話ではないだろうか。ただでさえ少ないスクリーン数はすでに減りつつあるが、運良く近場で上映されていた方、何かビビッと勘が働いた方は、是非とも足を運んでみて頂きたい。

(2021 12/19記録)



 ……で、実際に鑑賞されたは思っただろう。タイトルは『レッド・ゴースト』のままで良かったんじゃないの?と。私もそう思う。

 あくまで憶測でしかないが、こういう邦題になった判断も理解できる。こういうマイナーロシア映画を売るには尋常の工夫では不十分だということが。例えばマトリックスやヴェノム、嵐のライブとかに『レッド・ゴースト』という、良くも悪くも目立たない題名で対抗できるだろうか。そういう点で『ナチス・バスターズ』は優れた題名だ。本邦での配給会社はアルバトロスだし、その方面の客層を引き込む意図もあったかもしれない。

 だが、この邦題がダサいとか、本質的ではないとかいう指摘もごもっともだ。ナチスをバスターするズというのも文脈的に大それた物ではないけど、これは赤い亡霊についての話なのだから、どうしても本元の方が合致している。それに本作のナチス軍団も、単なるステレオタイプB級悪という物からは遠い所にあるし、その辺の魅力も伝わらない題になってしまった。

 この問題はビッグヒーロー6のことを思い出す。ディズニーはあれにベイマックスという邦題をつけ、尋常話っぽいプロモーションをうった。公開当時、予告cmをみた私は「ふーん、今度のディズニーはこういう方向性なんだ」と思い、スルーした……後年になって実食し掌をかえしたのだが、こういった悲しいすれ違いが起きていないと果たして言いきれるか。

 しかし、しかしだ、だからといってと私が、面と向かってスカム邦題と言えるだろうか、言えるものか。元はといえば、この作品の存在を認知したのはどんなきっかけだった?まさにこの『ナチス・バスターズ』というお名前が目を引いたからじゃないか。仮に『レッド・ゴースト』だったとしたら、我ながら不本意だが、観てなかったのではないか。

 気付けば、私はすでに配給会社の手中で踊らされていたのだ。仮にここでナチス・バスターズを否定してしえば、レッドゴーストに感動し、いまこうして記事を書く自身を否定することになってしまう。だから配給会社は腰抜けという、至極真っ当な意見を目にするたび、どこか居心地の悪さを抱いてしまう。そういう十字架を背負ってしまった。

 だから語り継がなければならない、少なくとも私にとって、この邦題で正解だったと。ナチス・バスターズで良かったと。それはそれとしてナチス・バスターズという字面はダサいと。


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