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うさぎとかめVS天地万有

 そこの兵隊さん、この坂の先はとっても危険ですので、どうか引き返すか回り道でもして下さいな。
 そうはいかないと?なるほど兵隊さんのこの必死さ、あそこで倒れてらっしゃるお仲間さんのご遺体に寄り添いたいのですね。きっと兵隊さんにとって大切なお方なのでしょう、だとしても……まってまって無視するなんて失礼じゃありませんか。そもそも、そんなひどいお怪我で動き回っちゃいけませんよ。血が流れて死んでしまいます。
 もっとも、自分もこう見えて手ひどい骨折をしているので兵隊さんのことも言えませんが……何にせよ、そこの岩に腰かけて、少しは応急手当でもしてからのほうがいいでしょう。ええ、賢明な判断です。
 では手当をされてる間に、自分めの昔話でも聞いていただけないでしょうか。この手の昔話といえば、何かしらの教訓、教えとでも言うべきものがあるのがお決まりですが、兵隊さんにはこのお話から『何が何でもこの先に立ち入ってはならない』という教訓を持ち帰って頂けたら幸いです。
 ささ、そんな怪訝な顔をされないで。そのお話は《むかしむかしある丘で、うさぎさんとかめさんが競走をすることになりました》と幕を開けます。

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 兵隊さんもご存知でしょう。脚の速いうさぎさんはかめさんに大きくリードしましたが、そこで油断しきった油うさぎさんは丘の中腹で昼寝をしてしまいます。そんなうさぎさんを尻目にかめさんは、のろまな脚で一歩一歩、一生懸命にゴールへと進む。かめさんは負けん気で諦めが悪かったのです。
 そして、うさぎさんが目を覚ました頃には時既に遅し、最後まで諦めないかめさんが見事うさぎに勝利したのでした。めでたしめでたし……だがしかし、この決着の後日、この競走結果は無効になってしまうのです。

 事の発端は先の競走から数日経ってのこと、上昇志向の強いはりねずみさんは、のろまな事で有名なかめさんがあのうさぎさんに勝利したというウワサを聞きつけました。はりねずみさんは、私もかめさんのように名を上げてやろうと思い至り、かめさんが勝った丘できつねさんに勝負を申し込んだのでした。
 そう同じ奇跡が続く訳ないだろうと、周りの動物さんたちは呆れていましたが、レース中盤に差し掛かる頃、皆は驚きに目を見張るのでした。
 突然、それまで圧倒的にリードしていたきつねさんが、丘の中腹で眠りこけてしまいました。数日前、ぶざまに油断負けしてしまったうさぎさんと全く同じように。その後の結果はご想像の通りで、はりねずみさんが1着、きつねさんが目覚めたのはもう手遅れになってからでした。
 なんだなんだ、ぜったいおかしいぞ、ざわつく動物さんたちと興味津々の動物さんたち。彼らは一通り騒いだのち、自らレースを行い検証してみることにしました。

 まず、しかさんとへびさんが競うと、脚の速いしかさんが眠ってへびさんが勝ちました。そのあと、しかさんがへびさんより遅くなるようゆっくり歩いて競うと、今度はべびさんが眠りました。カラスさんとつばめさんが丘の頂めがけて飛び立つと、少し遅れをとっていたカラスさんが途中で地面に落っこちてしまいました。おうまさんたちが11頭並んで競走すると、一番後ろに控えていたうまさん以外の皆がやはり眠ってしまいました。
 他にもいろいろな動物さんたちがレースをしたけれども、必ず脚の速い動物さんが眠ってしまう。そして眠ってしまったみんなは必ず、遅いどうぶつさんがゴールしたとたん、むくりと起き上がるのでした。
 どうやらこの丘に《ここで競走をすると速い方が眠らせて、結果的に遅い方を勝たせてしまう》といった魔法、もしくは呪いのような力がかかっているのは明らかでした。ついでにこの丘は『油断の丘』と皮肉を込めて名付けられました。

 そうこうしているうちに、喧騒につられてかめさんとうさぎさんも丘の方へとやって来ました。2匹は背中を並べて呆気に取られていましたが、そこからみるみる顔色を良くしたのはうさぎさんでした。
「おやおやこれは……いやはや!どうやらあそこで競走をするのはよろしくなかったみたいだねぇ」
 うさぎさんはその軽薄な声で、かめさんに向かって勝ち誇りました。なにせ、あの時の油断負けは不可抗力でしかなかったと分かったのですから。かめさんは沈痛な面持ちでした。あの見事な大金星は、ただの茶番でしかなかったのですから。
「じゃあ先日の結果はなしということでいいよな?それとも、また別の場所で決着つけるかい?」
「む……しょ、承知した!その勝負のらないわけにいかないとも!」
 かめさんは案の定うさぎさんの挑発に乗ってしまいました。というのも、最初の競走にしたって、うさぎさんがかめさんののろまさをからかって、それにかめさんが反発した、なんて流れで始まったのだからそうですから。かめさんは負けん気で諦めが悪かったのです。
「いいぜ、それでこそかめさんだ。今度こそぬかりなくいくぜ」
 再競走は翌日行われるはこびとなりました。威勢よく返事したかめさんでしたが、内心はとても恐ろしかったそうです。なにしろ、世界で一番早い動物を自称していたうさぎさんの事です。今度はきっと本当の本気でかめさんを突き放しにかかるでしょう。
 それで負けたら一体どれだけの赤っ恥をかかされるものか。かめさんは寝床のほら穴の中で震えて、じっと丸まりました。かめさんはすっかり自信を無くしてしまうのでした。

 しかし、恐れていた再競走は中止となりました。より正確に言えば、競走なんかよりずっとずっと恐ろしい事が起きて、もうまったくそれどころではなくなったのです。
 それは翌日、かめさんが約束のスタート地点へとぼとぼ歩いていた時のこと、『油断の丘』の方からなにやらざわめきが聞こえてくるのが聞こえてきたのです。
 昨日とはなにか違う、あまりよくない騒ぎ方でした。かめさんは足が遅いので、ようやく丘に着いた頃には事はますます大きくなっていました。その日の丘を一目見たときかめさんは、とんだ大所帯でレースでもしてるのかと思いました、大勢の動物さんたちが丘の中腹辺りで眠って、それが頂上を囲うような弧線の形になっていたのだから。
 そのあとすぐに勘違いだと分かりました。かめさんの頭上をむくどりさんの群れが飛んで、丘の右向こう側へと進んでいくのが見えました。そのむくどりさんの群れが"削れた"のです。群れの右側、眠る動物さんたちが作るラインの延長線上に当たったむくどりさん達は、とたんに羽ばたくのをやめて落下したのです。ぼどぼどぼどぼどっ、と眠る動物さん達の上に重なるように。
 残りのむくどりさん達は異変に気付かず飛び去ってしまいました。レースをしていた訳ではないだろうに、一体どうしてか。それに、あそこで眠っている動物さんたちを見るとどうでしょう。わにさん、りすさん、ダンゴムシさん、チーターさん、きつねさん、ムカデさん、こうもりさん、カエルさん、etc……早いも遅いも関係ありません。こうして眺めている間にも、はりねずみさんが眠るきつねさんの方へと寄って、ぱたりと横になっていました。
 とにかく、油断の丘の性質は昨日までとは変わってしまったのは確かでした。丘の周囲は、鳴きわめく動物さん、眠るのを助けようとする動物さん、議論を飛ばし合う動物さん、かめさんのように騒ぎを聞き見物に来た動物さんたちで溢れており、うさぎさんもまた怪訝な顔で丘を見つめていました。そしてこの中の誰もが、丘を囲う動物さんのラインが濃くなっていくのを止めることができませんでした。


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 と、ここらでお話を一旦区切りとしましょう。先までの話で注目して欲しいのが『丘を囲う動物さんたちのライン』という部分です。眠る動物さんたちは丘の中腹で線めいていた、これを踏まえて、今一度周りを見回して頂きたい。
 草木も生えない荒野に、人間さんたちの死体が数えきれないほど転がっていますね。兵隊さんと同じ赤の軍服と、違う緑の軍服が。兵隊さんに言うまでもないでしょうが、先刻ここで起こった激しい殺し合いの為ですね。兵隊さんもそれで怪我したのでしょう。ついでに自分も巻き込まれて骨折しました。しかしおかしいのは兵隊さんが向かっていた方向、"丘"の向こうにある人間さんです。
 赤い軍服の死体が丘の中腹で、頂上を囲うように弧線を描いています。……もうお気づきでしょうか。ではこの丘の方向に、その腕に抱えている銃を撃ってくれませんか?残弾が減るのが気にならないのであればでいいです。……ウワッ!いつになってもこの破裂音は慣れません。で、見えたでしょうか。押し出された弾丸がつうっと不自然に減速して、死体を少し過ぎたあたりに落っこちたのを。
 つまりどうなったのかと言いますと、あの弾丸は『眠った』んです。あそこで横たわっている軍人さんたちの死体も、わにさん、りすさん、ダンゴムシさんたちのように、昔話の動物さんたちと同じ目に遭ったのです。そう、ここはかつて『油断の丘』と呼ばれた場所です。
 油断の丘にかけられた魔法はその性質を転じさせました。いや、根本的な性質はきっと変わっていないのでしょう。変わったのは、この競走を行っているとされる対象が【この世界に存在する動く物体】と定義されたことです。そしてこの呪いは、この世界に存在する中でもっとものろまな存在が現れて、丘の頂に辿り着くまでは、いつまでも続くことでしょう。


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 それじゃあ、さっきの話の続きしましょう。
 さっき、この世界の全存在がレースにこの丘参加させられている言いましたが、それは一体どういう根拠か。それはおおかみさんやとかげさんら、複数匹の証言に拠ります。
 彼らによれば、昨日の夜更け、この丘のあたりで誰かが「そうだ、あの丘で世界中のどうぶつらと競走するぞ!な~んて言ったらどうなるだろう」と独り言をしていたのを聞いたのだそう。つまりその動物さんの何気ない言葉のために、世界中の全ての動物が油断の丘でレースをしている、という状況が発生してしまったんじゃないか。確証はありませんでしたが、とにかく一番もっともらしい仮説が他に考えられなかったので、動物さんたちはいったんこれを事の真相として設定しました。

 で、この仮説を信じるならば、世界中で一番のろまな動物が頂上へ向かって、思いっきりゆっくりゴールに歩いていけば、きっとみんな起きるんじゃないか。皆はそう考え、足ののろまな動物さんたちに白羽の矢が立ちました。
 まずはじめに、かめさんが頼まれました、この辺りの動物さんの中でのろまな奴といえばかめさんだと決まっていたからです。そしてかめさんは……断りました。もしだめだったらと思うと足がびくついて、どうしようもなかったと聞きます。
 そんなかめさんの決断を周囲は温かく了承してくれました。失敗すれば命の保証はない作戦ですから、皆無理強いはしたくなかったのです。かめさんがホッとため息をつくと、その場に居合わせていたうさぎさんて目が合いました。ふだんの飄々としたうさぎさんからは想像できない、凍り付くような軽蔑のまなざしだった。かめさんが訳を聞こうと思い至る間もなく、うさぎさんはきびすを返して行ってしまいました。
 そしてそれから、うさぎさんはみんなの前に姿を現さなくなりました。

 結局、この作戦に自ら名乗り出たのはロリスさんでした。ロリスさんは丸一日じゅう睡眠とり、ばっちり目を覚ました状態で眠りの丘に挑みます。その歩みはとんでもなく慎重なもので、もういっそ、全速力で走ったほうが疲れないんじゃないかとギャラリーに思われるほどでした。
 それでもロリスさんは失敗しました。眠る動物さんたちのラインをで抜き足差し足で乗り越えようとしたその時、ロリスさんは瞬くうちに夢の世界へいざなわれてしまうのでした。
 続いてかたつむりさんとナメクジさんが出走しました。幼なじみの2匹はロリスさんよりも更に遅いスピードで腹を這わせていきます。あまりにも遅いものですから、眠りに囚われてしまった後も周囲はしばらく気づかなかったのだとか。

 そして次なる挑戦者は……出ませんでした、彼らに続くほど勇気あるものはもういませんでした。その代わりに器用で知恵のある猿さんが、お手製のロープを投げては、眠る動物さんたちの身体を回収していきました。例え眠ったままでも、親身に水と食事を与え続ければ生きられると聞きます。それでいいんだ、みんなはそうして諦めていくのでした。
 やがて油断の丘に寄りつく者ほとんどいなくなりました。周囲に住んでいた動物さんのほとんどが住まいを移し、地中に大きな巣を張るありさんの一族でさえ一世一代の大引っ越しを敢行したほどです。
 そんな中で居残ったのはかめさんでした。たとえ周りに住む者がいなくなったとしても、何も知らない旅の動物さんたちは丘の餌食になります。そのことを放って丘から去ろうとすると、あの時のうさぎさんの軽蔑する顔がどうしても脳裏に浮かんで、何もせずにはいられなかったのでした。

 しかし、のろまで不器用なかめさんの体にできることは限られています。この丘は危ないぞ、よけていけ、そういった忠告を通りすがりの動物さんに1匹ずつかけていく。そんなことを昼夜問わずやってみたが、成果はよろしくありませんでした。おおよそ大体の動物さんはかめさんを気にもかけず、そして眠りにつくのでした。
 そうして増えていった彼らの死体は、ウジむしさんに食べられることも腐ることもなく、雨や風にさらされてゆっくりと、どろどろに崩れていくのでした。またいつの間にか、丘の中腹から上の芝や木々が枯れはてていました。そうした有り様がますます興味を誘ってしまうものですから、犠牲者の数はますます増える一方でした。
 そんな状況なのでかめさんは、もう憔悴しきってしまいました。足も喉もほとんど限界まで酷使しているのに、今まさに丘に飛び込もうとする動物さんをどうする事もできない。もう潮時でいいだろう。かめさんはいよいよ、引っ越し先はどうしようかと考え始めました。

 うさぎさんと再会したのはそんなある日のことでした。その日は空にぶ厚い雲がおおって、昼間でもブルーアワーのように暗かったそう。
 南の森から丘の方へやってうさぎさんを見て、かめさんは目を見開きました。なにせ全身の体つきも、顔の雰囲気にしろ、まるで猛獣さんのように変わっていたのですから。おそろしいうさぎさんの圧に気おされていると、うさぎさんの方からかめさんへ訪ねてきました。
「おやおや、かめさん、君だけここに居残りしてるようじゃないか」
 うさぎさんの様子が全く変わってしまっても、その軽薄そうな声だけは変わっていなかったので、なんだか不思議に思えてしまいました。
「僕じゃあ何にもできやしないけれども……それにしてもうさぎさん、一体どうして」
「そうだぜ、それでこそかめさんだ、おれは君のことを見損なっていたらしい、大したやつだ」
「話が見えてこないよ、今更ここへ来てどうするつもりさ」
「どうするって?そんなの1つしかないだろ?おれはこの、クソったれの呪いをやっつけに来た。本当、今更かもしれだけどな」

 うさぎさんは、この丘の呪いに打ち克つつもりでした。うさぎさんあれからずっと1匹で鍛えて続け、脚を鋼のように強靭に ぜい肉を限界までそぎ落としてきたのです。
 しかしこの丘の頂上に辿りつきたいならば、世界で一番遅く歩いていかなきゃいけないのではないか。かめさんが問うとうさぎさんはこう答え初めました。
「こないだの勝負、おれがどうして負けたと思う?言っとくけど、かめさんが勝った理由とは違うぜ。それはあの時、おれが油断していたからだ」
 うさぎさんは油断の丘に向き直りました。そうする間にも、新たにうしさんが呪いの毒牙にかかっていました。
「どいつもこいつも、簡単なことを見落としてるんだ。要はおれが眠らせれてしまうよりも速く、丘のてっぺんに着けばいいんだ。のろまな奴なんかより、早い奴を探したほうがずっとよかった」
「そっ、そんな」
 無茶な、とかめさんは言い出そうとして、すぐに撤回しました。それは自身が言えた事ではなかったからでもありますし、また、純粋にうさぎさんを応援したいからでもありました。
「競走の時おれは、世界で誰よりも速いものだとおごっていた。けれどもおれは無様に眠って君に負けた。それって結局、おれに油断があったって事だろ?もう言い訳はやめた、今のおれに死角はないぜ、今度こそおれが先着してやる。歯を食いしばってみてんだな!」
 うさぎさんは吼えました。そして、うさぎさんは駆け出す直前、その厳めしい表情を緩ませた。
「そうだ、勝負の結果は無効っていうのも撤回しようとも、だからこれで1敗1勝だ」

 それからうさぎさんは、かめさんがひっくり返るほどの風を巻き起こしながら、そして自身も風となりました。筋肉をはちきれんばかりに強張らせ、枯草と土をえぐりながら丘を駆けあがるうさぎさんは、今までかめさんが見た何よりも早かった。
 しかしうさぎさんのすごかったのは、そこからもう1段階、2段階にも加速をしたことでした。
 きっと、うさぎさんの四肢はとうに限界を迎えていたことでしょう。脚が地面を踏みしめるたびに、ぼたぼたと血のあしあとが連なっていきます。それでもうさぎさんは止まりません。止まりません。止まりませんでした。そして最高速で呪いのラインを踏み越えたとき、かめさんは確信しました。今のうさぎさんこそ、この世界に存在する天地万有の中で一番速いんだと。
 うさぎさんは勝った、ラインを越えてなお、彼の走りは止まることはありませんでした。かめさんはほとんど無意識のうちに叫んでいました。いけ!いけ!がんばれ!か細すぎる声援をどうか届けと、すでに疲れ切っていた喉と肺を振り絞りました。

 結論から言うと、かめさんの声は届いていませんでした。ラインを超えてからコンマ数秒の時点で既に、うさぎさんの意識は途絶えていて、体だけが反射だけで動いている状態になっていたのです。だから右前足がひしゃげ、バランスを失った体がぽんっ、と跳ねるように転げ、トップスピードのまま地面に擦られるのも時間の問題でした。
 うさぎさんの挑戦はふもとから7合目を少し過ぎたあたりで終わりました。かめさんは何もできませんでした。かめさんは、憎たらしい知り合いが変わり果てたさまをただ凝視していました。きっといつか、また動き出すんじゃないかという風に。やがてぶ厚い雲から大雨が降り始めました。雨風は7日7夜に渡って続き、うさぎさんも、他の動物さんたちの体も跡形もなく洗い去ってしまいました。

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 これがうさぎさんとかめさんのお話の全てです。長い月日を経て、どうしてか冒頭の競走だけが広く語り継がれるようになりましたが、これが全てのあらましとなります。
 ……なんです兵隊さん?どうして君がそんなにくわしく知っているのかって?それは、まさにこの自分がさっき出てきたかめさんの子孫で、さっきの昔話が先祖代々語り継がれていったからなんです。
 そうだ、改めて私の全身を見てくださいな。どこからどう眺めても、なんの変哲もないちっこいかめにしか見えないでしょう。ほら何も不思議ではない。
 となるとかめさん……つまりぼくのご先祖はあのあと奥さんと出会い、婚約でもして、子供たちを産んだことになりますね。でも、かめさんと奥さんがどういう経緯で巡り合ったのか、奥さんや子供たちはどんなかめだったのか、そんなお話は一切残されてません。
 分かっているのは、かめさん達は丘を見守る仕事を引き継ぐべく子孫を残したという事だけです。かめさんと奥さん、子供たちはやはり愚直に、通りかかる動物さんたちに警告を流しました。かめさん達の小さな体では気にもとめられませんでしたが、家族は諦めませんでした。そうしたある冬の日にかめさんは死にました。通りかかったへらじかさんが気が付かずに踏んで、かめさんはぐちゃぐちゃになってしまったのです。
 その後もかめさんの子供たちもまた子を産み、丘を歩き回り、彼らもまた子孫を残す……そういったことを、数えきれない年月続けてきました。
 もっとも、そんな長い月日をかけて救えてきた命は決して多くはないでしょう。特に自分の後ろ数世代の頃から、状況はいっそう厳しくなってきました。人間さんたちの住まう領域が広がって、いよいよ丘にも手が及ぶようになったのです。
 立ち入った者を永遠の眠りにいざなう呪われた丘がある。そんな噂はたちまち広まり、丘から一番近い場所にある王宮にも入り込んできました。それが真実だと確かめられると、これを軍事利用してやろうという企みが起きたというのです。
 ようするに、例えば敵軍をここに追いつめる、もしくは、自ずと入ってしまうように誘い込む、そうすれば敵軍はあっという間に壊滅してしまう……むろん、この丘の存在は徹底して隠した上で。この作戦は何度も功を奏します。実際に兵隊さんの部隊もそうやって罠にはめられたのです。
 人間さんたちには人間さんたちの事情がある、というのは承知ですから、何も戦争そのものに口を出すつもりはございません。それでも、この丘の呪いの為に動物さんが死ぬというのは、それだけは、それだけは見過ごす訳にいかなかったのでした。
 もちろん、のろまで小さな自分たちは、大きな争いの前に非力でした。そればかりか、戦いに巻き込まれ、傷つき、命を落とす家族も大勢でました。それでも退きはしませんでした、たとえ力足らずでも、諦めるよりかはずっといいですから。
 戦場を分け入っては、命を落として、そうしている内にとうとう自分1匹になってしまいました。ついでに言うと自分もそろそろです。かめの骨折というのはそう簡単に治るものではありませんし、このまま衰弱するのがオチです。

 なんでしょう。どうしてそこまでするんだ、と言うのですか。では、あのお話の中で、どうしてかめさんがうさぎさんに勝ったと思いますか。うさぎさんがかめさんに負けた理由ではなくです。
 それはただ、かめさんや自分たち一族が負けん気で諦めが悪かったからです。自分たちは先祖のかめさんからずっと、そんな性格ばかりを受け継いで、ここまできてしまいました。
 もちろん、自分たちの取りえといえばそれくらいです。うさぎさんは自分たちよりずっとはやい、それに諦めの悪さは相当ですもの。どうあがいたって自分たちはうさぎさんに勝てっこありません。でも、うさぎさんはあの丘の中腹に眠ってしまいました。だから残された自分たちがのろまな脚でやっていくしかないのです。その歩みもいよいよ終わりますけど、最後に兵隊さんにお話しができてよかった。

 手当の方もそろそろみたいですね。これからどうするおつもりでしょう、やはりお仲間さんの方に向かわれますか。
 ……一時撤退して救援を待ちたい、と。それは、賢明です、ああ、よかった、実に賢明な判断です。ようやく報われました。
 おや、自分も一緒に逃げないかと仰るのですか。それはお断りさせて頂きます。自分がいても腹の足し位にしか役に立ちません、そもそも自分も誰かに食べられるのは嫌ですし。
 自分にはやることがまだあります。ここまでさんざ説教をしておいてどうかと思われるでしょうが。自分はこの丘の頂へ向かいます。ただでさえ足の遅い私が、ひどい怪我を負ってるのです。もしかしたら、もしかしたら、今の自分こそが世界のどんな存在よりも遅いのかもしれないじゃありませんか。そしてあのゴールに辿り着けられれば、この丘の呪いもようやく消え失せるでしょう。
 これで兵隊さんとはお別れです。兵隊さんにはこの後も命の危機は待っているのでしょう。けれどもどうか、なるべく長く生き延びて下さい。これは自分のエゴでしかありませんけど、兵隊さんこそ、自分が生涯で初めて助けられた動物さんでしたから。

 ではいってきます。これでうさぎさんには1勝目です。


【Photo by Anna Sushok on Unsplash】

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