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再雇用前に会社を辞めました! -91-

こんにちは、ケロヨンです。
今週は明日9月2日から9月6日まで仕事で東京出張なので早めに配信するね。
【40年前と現在のキャリアパス相違点】
先回は俺が大学卒業して就職した1983年当時の就活の様子とどんな気持ちで会社に入ったか?を書いたけど今回は当時の日本企業の様子を書こうかな。
俺は1983年4月に入社し2週間の新入社員研修を受けてから配属された。
当時はまだ男女雇用機会均等法が施行されていなかったので男性は「総合職」、女性は「事務職」と呼ばれて明確に分かれていたが、どんな仕事をするのか?は明確に書面で規定されていなかったように思う。
今では信じられない事だが、事務職の女性は始業時間よりも30分早く出社し、自分の部署の机を全部雑巾で拭いて、総合職の社員が出社したらお茶を入れて全員に出す事が毎日当たり前のように行われていた。
そう言えば昨日(8月31日付け)日本経済新聞の1面に出ていたけど、厚生労働省は2023年度中にも労働基準法の省令を改正し雇用契約した働き手に対する労働条件の明示範囲を段階的に広げるらしい。
現在の法律では働き手に対して雇用主は、勤務地と業務内容などを記した「労働条件通知書」を渡す事になっているらしいが、今後の改正では将来勤務する可能性が有る勤務地や職務に対しても明記する事が求められるらしい。しかもこれは企業の大小問わず全ての雇用主に義務付けられるらしいから、俺が7月末まで所属していたS社では社長がその制度を正しく理解出来ず大変な事になるだろうね。
 さて、俺が新卒で入社した1983年に採用されたのは総合職が63名、事務職は130名程度だったと思う。この頃の日本は高度成長期は終わっていたものの景気は良く、初任給は12万円程度だった。
驚くべき事に初任給貰った頃は給与袋に現金が入っており、それを上司の課長から一人一人に渡されていた。数ヶ月で銀行振り込みに変わったので現金を渡される事は無くなったが、当時先輩社員に聞いた話では、次長クラスになると賞与支給時に現金が入った袋を机に立たせる事が出来るぐらいの厚みだったそうだ。
今は日本企業は給料が世界的に低い基準と言われているが、当時日本企業は凄く儲かって潤っていたんだよね。
何故潤っていたのか?は次回書こうと思うよ。



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