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#day6 生命は、川のように流れつづける


 母がお不動さまの坊で写経を続けていた時期があり、ティーンエイジャーの頃から般若心経に親しんだ。父ががんを患い入院した折には、昼休みに勤務先近くの成田山別院へ詣で、毎日毎日、般若心経を詠んだ。残念ながら、父は3か月後に亡くなったものの、強い痛みもなく旅立てたのは、お不動さまのおかげと信じている。

 そんなこともあって、科学者である柳澤桂子先生が般若心経を現代語訳したと知り、『生きて死ぬ智慧』を読んだ。日本画家の堀文子さんの美しい絵と柳澤先生の透きとおる現代語訳。魂が宇宙を漂い、宇宙に抱かれているような幻惑に魅せられた。先生が説かれる宇宙をもう少し身近に感じたくて、『永遠のなかに生きる』を読んだ。先生が新聞やムックなどに綴られた玉稿、それらを1冊にまとめたエッセー集だ。

 周知のことかもしれないが、先生は難病と闘いながら生命学者として、稀代の業績を残している。その先生が「命はとうとうと川のように生殖細胞を通して流れている」と述べるくだりを読んで、ページを閉じた。そうであれば、子どものいない私の遺伝子は滅っしてしまう。なんとなく切なくなり、そのまま書庫に収めた。

 物心つく頃から死を怖れていた。幼稚園の年長さんから2年ほど過ごした家の近くにお墓があった。そのお墓に埋められ、真っ暗な闇に閉ざされるイメージにうなされた夜もあった。小学生2年生で横浜に転居した。弟と同室ではあったが、子ども部屋を与えられた。除夜の鐘を聴きながら人生を引き算するようになったのは、その頃だった。二段ベッドの上段に眠る弟の寝息を聴きながら、80歳まで生きられるとして、あと70年、あと69年とカウントダウンした。除夜の鐘が、冥途の鐘のように聞こえた。

 齢を重ね、死が身近になり、地球がコロナに覆われ、家に閉じ込められて、ふと『永遠の中に生きる』を想い出した。かつて、ページを閉じた「命は川のように流れ続ける」を探した。するすると読めた。そして、最終稿の「慈悲の遺伝子」まで、あっと言う間に辿りつけた。

 子どもがいなくて遺伝子が川のように流れなくても、命の川は三途の川に流れ込み、私の魂は宇宙へと還っていく。それは、ひたひたと近づいてくる死の恐怖から逃れるための「合理化」かもしれない。それでも、魂が宇宙へ還り、永遠を生きると信じればこそ、今日も、ただ一度の今生の私を慈しんで生きようと思える。

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