32歳独身が父親とふたりでバターの瓶をあけて人生について考えさせられた話

 最近クラスターだとか緊急事態宣言だとか感染者拡大だとか、いやな感じの字面にうんざりして、やろうやろうとおもってたことがなかなか進められずにいた。なんと言っても気分が乗らないのだ。職場も仕事量がめっきり減って、ずーんと沈み込んでいて、どこにいても無力感が漂っててなんとも言えない。やだなー、いっそ会社辞めてフリーランスになりたいなー、いやでもそっちのほうが過酷だよなー、ツイッターみてても面倒くさい案件とかクライアントの話しか流れてこないしなー。まあ、こんなときは何をやってもうまくいかないわけだし、おとなしくじっとしてるに限るなーなどと呆けたように口をあけて天井を見つめたりする。で、次の瞬間にはツイッターを眺めて面白ツイートにいいねボタンを押す。機械の使い方を覚えたサル――それ以上のものになりうるのかじぶんは。
 保護フィルターを貼ったツルツルの画面をスワイプしてるとLINEから通知が届く。アイコンはうす紫色の花弁の写真。母だ。
「土曜日にお姉ちゃんのお誕生日会をするけど、帰ってこれる?」
 そう、我が家は平均年齢50歳を超え、にもかかわらず各構成員の誕生月に、いまだに実家に集まってお祝いをするなんてことが続けられているのだ。「仲が良くていいことじゃないか」というひともいるかもしれないが、惰性でずるずる続いている感があり、私はあまり良くおもっていない。いつ終わるのだろうと内心タイミングをうかがっていたりする――おそらく母がいる限りは続くだろうと踏んでいるが……。
 住まいが実家からわりかし近いのは何かと便利な半面、こういう面倒事から離れられない所以でもある。いっそ思い切って他府県に引っ越そうかと度々考えるのだが、リスクやコストを天秤にかけて踏みとどまり、ずるずるといまの生活を続けている。こうやっていつまでも何もできないまま、何も成し遂げられないまま死んでいくのだろうなと、将来のハードルを何段も何段も下げている――もっとも、二十代までに上げに上げたハードルの高さは天井知らずもいいところなので、まだまだ「下げシロ」はある。そうおもうと、三十代というのは、じぶんの生まれ持った性質や獲得した能力、染みついた習慣、趣味嗜好に見合った人生の展望とやらを見定めていく時期なのかな、なんておもったり。
 たとえば小学校の頃からパソコンが好きだったので、パソコンに関する知識は(まったくないひとに比べれば)少なからず持っている。でも、それをなんらかの形で活用しようという努力をいままでしてこなかった。理由は簡単。「じぶんなんかよりも詳しいひとはいっぱいいる」というムダな考えをもってしまっていたから。過去のじぶんに会う機会があったらぜひとも伝えたい。そんな問題ではないのだ、愚か者。おまえがそんなに詳しくなかろうと、ぜんぜん詳しくない人間が困ってたら、多少の助けにはなるだろう。それでいいのだ。というか、それが重要なのだ。おまえが生活する圏内にいるひとたちが幸せであるために、おまえの全能力を注ぎ込め。ネットでたまに目にするような異常なまでに詳しい赤の他人と張り合う必要なんて皆無なのだ。わかったか、少年よ。
 で、パソコンの自作に挑戦してみたのだ。前々から気になっていた話題のCPU、AMDのRyzenを積んだ、軽いゲームくらいならサクサク動くコスパ重視のWindowsマシン。
 私は生まれついての臆病者なので今までおそれていたのだ。「大して詳しくもないくせにパソコンの自作なんかしちゃって、何になるのさ」というような嘲笑を――その嘲笑は誰からというのではなく、他でもないじぶんの頭のなかから鳴り響くのだ。しかし、考え方さえ変えればそんなものはおそるるに足らない。いいじゃん、詳しくなくたって。好きなんだし。
 そうして生活に張りが生まれる。近所のパソコンショップでパーツを物色したり、店員さんに相談してみたり。今までやってなかったこと、やってみたかったこと、憧れていたことがどんどん叶っていく。なかなか楽しい、というか、かなり楽しい。
 ところが次の瞬間、「何を遊んでるんだ」と水を差してくる私のなかのもうひとりの私。こんなご時世なんだからもっと仕事につながるようなスキルを磨けよと。「うるせぇ」と強がってみるものの、むなしい。たしかになー、パソコン自作でフリーランスなんてなれるわけないしなーと呆けたように口をあけて天井を見つめたりする。で、次の瞬間にはツイッターを眺めて面白ツイートにいいねボタンを押す。

 土曜日、予定どおり実家に帰る。お誕生日会が始まるまで姉のパソコンに関する相談(ハードディスクを買ったがバックアップの取り方がわからない)に乗り、父の作曲ソフトに関する問題(上書き保存をしようとするとクラッシュする等)を解決する。実家に帰るたび毎回こういったサポートセンターのようなことをしている。
 お祝いのディナーは、こんな時期だからと、最近宅配を始めた「ちょっと良いお店」のお弁当。
 食べてしばらく酔っ払った父の現政権批判を聞き流すなどしながら過ごしていたところ、姉がナチュラルでオーガニックな感じの瓶詰めのバターをネット通販で買ったが、フタがあかなくて困っているという話になる。まだ買って間もないので私と父にあけられなかったら返品しようと考えているとのこと。で、さっそく挑戦したのだが、これがほんとうに硬くてあかない。私は同年代のなかでみるとおそらく中の下くらいの筋力で、つまりヒョロいほうだとはおもうのだが、それでも女性があけられない程度の瓶ならあけられるだろうという自負があった。ところがこの瓶、溶接されてるのではないかとおもうほど、ガチガチなのだ。
 Googleで「瓶 あかない あけ方」などと頭の悪そうな検索ワードを放り込んでみたところ、瓶に熱を加えるとあきやすくなるという記述をみつける。が、いかんせん中身はバターだ。熱を加えすぎると変質してしまい、返品ができなくなる。小賢しいライフハックは使えない。ゴム手袋をはめてすべりにくくし再度チャレンジするが、当然のごとくダメ。すべらなくなった代わりに強い摩擦で手が熱くなる。
 風が吹いたり雨が降ったりするのと同じようにこれは自然の摂理なのではないかと悟りに至りそうなほど、瓶があかない。フタが歪んでいるのではないかと仔細に観察してみると……なるほど、たしかに若干フタが斜めに傾いているふうに見えなくもない。しかし、そんなことがわかったところであくわけではない。よしんばトンカチでフタの歪みを直したところであかなければ返品もできなくなる。ダメだ。
 私がさじを投げたことで、父に挑戦権がわたる。しかし、こちらもダメ。私が試したあらゆる方法をあらためて試してみるというような格好で、革新的な瓶のあけ方を発見するには至らない。早々に試合終了となった。
 ダメだったねー。やっぱり返品、もしくは不良品として交換してもらおうということになり、返品の手続きについて調べる段階に。ちなみに店側に渋られた場合にがっちりゴネられるよう、姉は私と父が瓶をあけようと奮闘する様子を動画で撮影済みである。
 こうして返品手続きの申請を終え、店側の返事を待つのみとなった頃であった。父からお呼びがかかる。
「もう一回やろう」
「もう一回って、瓶?」
「ふたりでやったらあくんとちゃうやろかおもってな」
「あんなに硬かったんやで? ふたりでやってもとうてい無理やとおもうけど」
「ていうか、もう返品手続きしたんやけどな」
「まあ、とりあえずやってみようや」
 そもそも「ふたりでやる」の意味が最初よくわからなかったのだが、原理はおもいのほか単純で、父と私とでそれぞれ瓶とフタをもち、グイッとまわす。つまり硬い瓶のフタに対して大人二人分の力を一気にかけてやろうという算段だ。
 しかし、あの瓶はほんとうにシャレにならないレベルで硬く、男ふたりがうんうん唸って挑んでも動く気配すらみせなかった。それが、こんな方法であくだろうか? 私はゴム手袋をはめながら、あかなかったときに言うセリフを考え始めていた。「やっぱり無理やったなー」「いやーまあ、あかなくてもともとやったからなー」「がんばったほうやとおもうで、うん」
 父と向かい合い、私は両手で瓶をもった。父もフタに手を添える。
「ええか?」
「ええよ」
「ほな、いっせーのーで、で、まわすからな。ええな」
「ええで」
「よし。いっ、せー、のー、」
「「でっ!」」
 キュッ、と小気味良い音がきこえた。よく漬かったキュウリの漬物を噛んだときの、あの歯の感触だ。手元をみると、ゴム手袋のなかの瓶からフタがなくなっている。フタは父がもっていた。
 「えーっ!」という姉の奇声。ワンテンポ遅れて母も「へぇー!」と仰天した。「こんな簡単にあくなんて……」と驚く私に、父は「まあ単純にふたりぶんの力が加わったわけやからな」と得意げだ。「あ、こんな色なんや、このバター」「ええやつやからな」と話題はすでにバターの品質に移っていたが、私はひとり愕然としていた。正直なところ、体中を電流がかけめぐるかのような衝撃だ。何度試してもあかなかった、この瓶は硬い、あくわけがないと決め込んで、私は、父の提案を受けてもじぶんでは試そうという意欲が起こらなかった。無駄な努力におもえたからだ。なんとなればふたりで試してもあかないだろうという予想に基づいたイメージしか頭のなかになかった。ところが結果はいとも簡単にそんな予想を覆したわけだ。
 いまの私と父との決定的な差はここなんだと痛感した。私は一人暮らしをしているが、住んでいるところはわりと実家に近い。どうせどこかの時点で帰ることになるだろうと考えているからだ。私はいやだなとおもいながら会社勤めを続けている。フリーランスなんてどうせろくな人生じゃないだろうとおもっているからだ。私はあらゆる局面において同じような判断をしている。あかない瓶のフタをあけるときにすら、「ふたりでやったって、どうせあくわけがない」と考えたのだ。そのことに気づいて愕然とした。じぶんの汚い部分を直視したような、冷や汗の出る心地だ。
 おそらく父は悔しかったのだろう、娘の買ったバターの瓶のフタをあけられなかったことが。息子と娘が返品の処理について調べている小1時間のあいだ、彼の頭のなかはフル回転していたに違いない。窮地に立たされた野生の動物が生き延びるためにあがくのと同じくらいの必死さで知恵を絞ったかもしれない。そして、思いついたからには、たとえすでに返品手続きが終わっていようと、試さずには気が済まなかったのだ。
 父は30のときに会社を起こし、娘も息子も私立の大学まで行かせてくれた。いまの私に同じことができるだろうか。40年後、いまの父と同じくらいの年齢になったとき、私に娘は、息子は、孫はいるだろうか。あかない瓶のフタを前にして何をおもい、どう行動するだろう。未来のじぶんがあらわれて叱咤激励してくれたらどんなにいいだろう。その日はほとんど上の空で帰った。

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