私の名付け親(らしい)人が亡くなった

名付け親と言っても、直接会ったことは無い。

両親は私たち兄弟の名付けを、自身が信仰する宗教団体の会長に依頼した。
両親は「◎◎先生が名付けてくださったのよ」と言うが、同じような依頼が全国各地(ひょっとしたら世界規模?)から舞い込むのだから本人が考えてつけたとは思えない。(事実、同級生にも似たような境遇の子が3人くらいいた。)

その人の部下や側近?それとももっと末端の人?何かしらの機械的に?名付けられたのかもしれない。
今年の名付けリスト!みたいなものは先生本人が作っていたのかもしれない。
事実と経緯は分からないが、私たちの両親にとっては、「自分達が信仰し、尊敬する◎◎先生に子供の名前をつけてもらった」ということらしいので、そういうことにしながらこの数十年生きてきた。
正直私はこの名前が気に入っていないのだが、文句を言おうにも言えないのがもどかしい数十年だった。


その◎◎先生が亡くなったらしい。


私としては(むしろまだ生きてたのか)くらいのテンションだ。
とはいえタイトルに戻る。そういえばこの人、私の名付け親(らしい)よなと思い出し、このnoteに至る。

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私はいわゆる宗教三世だ。祖父母の代からこの宗教を信仰しており、特に父方の親戚は熱心な活動家が多い。
両親も地域の中では活動している方だったんだと思う。我が家は宗教活動の拠点となっており、色んな大人が出入りしていた。

宗教活動関係なく、特に父は町内会だのなんだのと地域の集まりによく顔を出していたので、どこまでの人が宗教関係の人なのか判別がつかないが、近所のおじさん、おばさんの中にも信仰している人はちらほらいたはずなので、活動的な地域だったのかもしれない。

両親は新聞配達もしていた。
朝5時台に起きて、宗教団体が発行している新聞を近所に配っていた。
大晦日あたりだけは朝ではなく夜の配達だったので、小さい頃は両親と一緒に私も新聞を近所の家のポストに入れに行った記憶がある。

ただ、私や兄弟の同級生の保護者に新聞の購読を勧誘することがあった。
私が知らない、覚えていないだけで、おそらく選挙のお願いもしていたんだと思う。
その意味が分かるようになった年齢がいつだったかよく覚えていないが、一度親と大喧嘩したことがある。

その時に両親からは「お前が好きな漫画や趣味を他のお友達に進めるのと同じで、私たちも先生の教えが素晴らしいと思っているから広めているんだよ」と言われた。
親も親で私の目線に最大限合わせた主張だったのだろうと今では思うが、当時はとにかく自分や自分の両親がこの宗教団体に属していることや、両親が周りに広めている行為が嫌で嫌で仕方なかったので、聞く耳を持てなかった。

新聞絡みではもう一つ不満があった。
我が家では同じ新聞を2部?3部?くらい取っていた。
ノルマ的なものがあるのかないのかよく知らないが、私としては新聞にお金を使うのではなくて生活必需品や私の教育費にお金を使ってほしかった。

使ってほしいつながりでいくと、時間もかなり宗教活動に費やしていた。
前述の新聞配達はもちろんのこと、宗教の集まりが定期的に開催されていた。
小学生の頃なんかは、家に帰っても親がいなかったり、逆に色んな大人が我が家にいるのがしんどかった。
宗教活動に時間とお金を使っていなかったら、もっと家族でいろんなところに行ったり、思い出作りができたのではないかなと思っている。

あくまで両親にとっては、この宗教活動が人生の中で優先順位の高い行為なのだと理解できるようになるには数十年かかった。
宗教活動で得られる地域的なつながりや精神的な充足感、その他私には分からない何か。
それらは両親にとって必要不可欠なものであり、取り上げられるものでもないのだと、大人になった今では整理がついている。

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最近私がハマっているコンテンツに、サバイバルオーディション番組がある。通称日プ女子。
事前に選ばれた101名の練習生の中から、視聴者の投票によってデビューできるメンバー11名が決まるというもの。

そう、視聴者の投票が必要なのだ。

自身も欠かさず毎日投票しつつ、趣味仲間に投票をお願いしたりされたり、投票に関するSNSの投稿を眺めているときにふと思う。

あれ、これ両親がやってることと似てない・・・?

多方面から怒られそうだが、投票する、投票を呼び掛けるという行為にどうしても既視感を覚えてしまう某宗教三世の深夜のつぶやきでした。


おしまい。



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