ノンケ社会への適応
たまにしんどくなっちゃうよねっていう話。
仕事のことだけ考えていればそんなに意識しないけれど、ふと肩の力を抜いてノンケの同僚達と雑談すると、溝を感じることがある。
同僚達の日常には、職場だけでなく家庭の存在も大きい。
私は仕事だけでも頭がパンクしそうなのに、同僚達はパートナーとの関係や子育てについても日々頭を悩ませながら生活している。
素直にそのバイタリティや責任感を尊敬している。
尊敬している、からこそ、時々同僚達が分かち合っている子育てや家庭に関する話題がしんどくなる。
もちろん、自分に縁が無い話だけれども、同僚達の話はそれぞれの人となりも分かるし、私には想像のつかない苦労を抱えているので非常に興味深く拝聴している。
でも、聞くだけ聞いて時々疎外感を覚えてしまう。
家庭に関する話題に同僚達の関心が集まれば、自然と自分は聞き役に回るしか無い。
私のくだらない雑談は、子育てや家庭の話題を上回るほど同僚達の興味関心を引き出す事はない。
いやまあ、単に私が話し下手なのもあるけどさ。
そんなこんなでなんとなく同僚達との間に溝を感じてしまい、心を閉ざしそうになっている秋です。
要は会話に参加できなくてただただ寂しいっていうそれだけなんだけどさ。
なんとなくその場にいるけど、同僚達の視界に入れない(喋らないんだから同僚達もこっちを向かないしそりゃそうなんだけど)もどかしさと寂しさ。
そう、寂しいんだよ。
そんなこと口が裂けても同僚達には伝えられないので、こんなところで描き散らかしてます。
同僚達が子育てや家庭の話をすることを止めたいわけではなく、単に自分の中でこの寂しさと折り合いがつかないだけの話なので。
ノンケ社会への適応と書いたものの、これはノンケ同士でもありそうな寂しさだなと思った。
10年くらい経ったら笑い話にできるかなあ
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