マガジンのカバー画像

過ぎてく日に走り書き

24
運営しているクリエイター

2019年7月の記事一覧

そして夫婦になっていく。たぶん。

「私は君に優しさを全くあげていない」 何の脈絡もなく妻が僕にいった。 付き合って十年、結婚して八年を経た妻からの言葉だからなかなか痺れた。 「あげていないと思う」 妻はくりかえした。 「確かに少ないな」 僕は笑った。 「私は人のために生きられない。あなたに寄り添ってあげられない」 妻は寂しそうにいった。 夫としてはなかなか衝撃的なカミングアウトを受けたわけだが、僕が感じたことは違うところにあった。 「僕もそれ思ったことあるな」 妻は不思議そうに僕をみた。 「人

慣れは麻酔のように曖昧な味

君がおばあちゃんになったとき、どんな顔をしているんだろう。 僕には見られないのかな。 人間ドックの結果が書かれた紙を見たときに、そんな思いが最初にすーっと浮かんできた。 もし感覚を何か一つ失わないといけないとしたら何が嫌だろう。くだらない仮定の話だと知りながら、想像したことがある。僕は視覚だった。 でもそういうのって不思議とそうなるのが憎たらしい。最初に失うのは「見ること」になるかもしれない。神様はかなり天邪鬼だ。普段は祈りを捧げないし、存在を思うことすらないのに、こう

そそいで。溢れるくらいでいいから。

優しさは減る 昨日もらったのにあさってには忘れたりする 愛も減る あったはずなのに馴れると置いてけぼりになったりする 苛立ちだけは足し算で膨れる 望んでなかったはずなのに応じてしまう 阿呆らしい共同作業 期待すると疲れる だから嫌になる。そんな時もある 文句は笑い話の時にさりげなく 笑えば許せるときもある 苛立ちにリミットがないように 優しさや愛情にも上限はない 忘れんぼだからたくさんあげといた方がいい 無理じゃない 笑

パーティイズオーバーだ!っだっだっだっだん

”それ”はいつからだったのか僕にもわからない。 たぶんずっと前からだったと思う。 ”それ”がどうして起きたのか。それすら僕にはわからない。探せば納得してもらえそうな理由を並べられそうだけど、それは全てではない。 そして”それ”がいつ終わったのかもわからない。 家族とサザエさんを見ている時だったかもしれないし、CMで流れたアップテンポな曲を聴いた時かもしれないし、あなたのなかで爆ぜた時かもしれない。 ”それ”は”悲しみを潤んだ絶望”だった。 * 成りたい姿がある。