何を書いたらいいんだろう

強張っている。何を書いたらいいんだろう。
まだひとつの記事も書いたことがないのに、検索履歴には「読まれる記事  コツ」だとか「ライター 実績 note」だとかの仰々しいワードが並んでいる。

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大学時代の友人に「吉田の書く文章、好きだな」「吉田が撮った写真って何かいいよね」と言われたことがある。奇特なことに、今もなお言ってくれる。

写真を撮ることは昔から好きだったから、褒められると素直に嬉しい。さてはて文章はというと、別段好きでも何でもなかったと思う。言うなれば「苦ではなかった」。時間をかけて何度も校正する作業にも気が付いたら没頭している。バシッと着地できた時の心地よさよ!数年経って読み返せば笑って燃やしたくなる文章もあるけれど、それでも文章を完成させた当時は満ち満ちた心持ちだったのだ。早く読んでほしい、早く誰かに届いてほしいと願うあのワクワク感。

数年来、毎日読み続けているブログが2つある。書店で新作を見かければ何も迷わずに手に取る作家さんが1人いる。多分私は、文章が「結構好き」なんだろう。詳しい方々に畏れ多くて名乗れないが、言葉や文章、伝えることに対して結構前のめりな方なんだと思う。

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新卒で入った会社もこの春で7年目。この先どんな仕事を、どこで誰としたいのか、そしてどう暮らしていきたいのか。毎日考えては「今の状況にもいい部分はある、今より悪くなったら嫌だ、でも」の堂々巡り。焦りと罪悪感で消耗していく気持ち。でも寝ちゃう。あの頃の、根拠のない自信とワクワクにあふれていた自分はどこへ行ったのやら…。リフレッシュしようと100均で粘土を買ってきて、好きなものをつくってみようとしたら、手が固まってしまった。頭にちらつくのは「何をつくったら売れる作品になるのかな」という考え(儲けたいという気持ちありきではなく、自分の好きなものを作ってそれが売れるっていいなという憧れに近い)。あれ?いつからこんなに ”好きなように思うがままに” 動けなくなってしまったのだろう?頭も心も手も何もかもが強張っていることにショックを受けてしまった。

今のところ、私に残されている「自由にできること」は写真を撮ることだけだ。写真を撮るということに対する、自分の心の動きにだけは、素直に自由に向き合えていると思う。この姿勢だけは守りたい。

でも、もう一歩自由になりたい。頭でっかちになってしまった(いいこともちゃんとあった)頭と心と手を、淀みから引っ張りだして天日干ししたい。のびのびしたい。

だからこのnoteは自由にのびのび書くことにした。読まれるとか、テーマがまとまっているとかどうでもいい。どうでもいい、と強く言い切らないと、誰かにとっていいものを書かなきゃと強迫観念に負けてしまいそう。自分の為に書くのだ。このnoteは、自分の為に書く!

おわり。

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