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20211106

すずめ:「ちょっと、ちょっとだけ頑張る時ってあるでしょ。住所をまっすぐ書かなきゃいけない時とか、エスカレーターの下りに乗る時とか、バスを乗り間違えないようにする時とか」
根本:「あぁ、あの、たまごパックをカゴにいれるときとか」
すずめ:「そう!白い服着てナポリタン食べる時。そういうね、ときにね、その人がいつも、ちょっと、いるの。いて、エプロンかけてくれるの。そしたら、ちょっと頑張れる。そういう。好きだってことを忘れるくらいの、好き」
             「カルテット」8話


お友達のおかげで手に入れることができたクリスのフォトブックが届いた。しかし我が家に到着したのは8月の上旬で、せっかく苦労して手に入れて貰ったというのになかなか中身を見る気が起きなかった。元より掃除ができないでお馴染みの私はとりあえずなんでも事件のせいにして嫌なことに手をつけないキャンペーンを絶賛継続させていて、何もせずにぼんやりフォトブックの箱を眺める日々が続いた。部屋はどんどん埃まみれになっていった。

クリス・ウー(吴亦凡)の逮捕について」という記事を書こうと決めたのは、正式逮捕が決まった8月16日のことだった。刑事勾留された7月31日に比べて、既に世間は(主に日本の)事件への興味を失い始めてるように感じていた。そもそも刑事勾留された時点であたかもクリスが逮捕されたかのように報じているメディアやユーザーがいたことで、既に容疑が確定して逮捕されているのだと思っていた人も少なくないだろう。正式に逮捕されたところで北京警察は事件の詳細を話すことはないだろうし、「未成年者を含む複数女性への強姦容疑でクリスが逮捕された」という事実だけが残って、世間的には事件は終わりを迎えてしまうような気がした。そしてこの予想は当たった。事件が大きく話題になっているときはたくさんのメディアや中国の情報を伝えるアカウントがクリスの疑惑を拡散していたが、警察による中間発表や告発文を代筆したゴーストライターの存在、そして被害者がクリスに関する投稿を全て削除したことに触れているところはごく僅かだった。被害者を批判したいのではない。彼女はクリスとの関係において確実に被害者であり、救われなくてはいけない存在だ。しかしこの事件は非常に複雑で、もしもゴーストライターの告発文に嘘があるのなら、今後勇気を持って性犯罪・性被害を告発する被害者達へ悪印象を与えかねない。彼女がしたことはクリスへの制裁であると同時に、未来の被害者たちへの障害になる可能性がある。何も知らない人がニュースを読んでクリスを強姦魔だと思うのは仕方のないことかもしれない。しかしクリスの疑惑を発信したアカウントたちの中には、中国語が読めて事件の詳細を知っているにも関わらず、それでも無視を決め込んでいるユーザーもいる。彼ら・彼女たちにとって女性の権利や性犯罪の恐ろしさなどどうでも良いのだと実感した。メディアや情報アカウントがあまりにも無責任すぎること、私にとってはクリスという存在が特別であることから、あのような記事を書くことに決めた。決めたはいいものの中国語が読めない上に多すぎる情報を一から整理するところから始めたことで、投稿までに1ヶ月もかかってしまった。書いている時は何のために?どうしてそこまで?やる意味あるのか?と何度も考えたが、拡散してくれた皆さんのおかげで思いのほか色んな人に読んでもらうことができた。「事件に対する印象が変わった」と言ってくれる人が1人でもいたことが今では救いになっている。

クリスの逮捕からあと10日で3ヶ月が経過する。私はというと案外元気に生きていて、なんなら若いKPOPグループとか出来る限り追っかけたりして、生活と健康にはなんの支障もない。それでも1日に何度も、深呼吸をするとき、ぼんやりするとき、ふとした瞬間に、まるで息をするみたいに自然にクリスのことが脳裏をよぎる。その度にほんのちょっとだけ泣けて、ほんのちょっとだけ腹が立つ。まだ好きだなと思い出すと、まだ好きな自分に腹が立ったりもする。

クリスが芸能人でいたとき、生活のあらゆる場所には確実にクリスがいた。そしてそれが許されなくなった今でも、クリスはちゃんとそこにいる。でも私は、その手を取ることが出来なくなってしまっていた。全部が悪い夢だったら、もしかしたら本当に全くの無罪だったらどんなに良かっただろうか。カナダ国籍じゃなかったら一体どうなっていただろうか。今でも毎日毎日考えてしまう。だからクリスを信じている人を悪く言うことはできないし、私も心の奥底ではそう思いたい。クリスを好きで、クリスの無罪を信じているコミュニティに閉じこもれば、きっと今までみたいに毎日クリスのカッコいい画像を眺めることができるし、今まで通り生活に潜むたくさんのクリスたちと手を取って生きていくことができる。そうしていれば、いつか事件のことなんて忘れられるかもしれない。でも、私にはそれができなかった。実はここで初めて言うけど、事件を調べ直すにあたってTwitterで別のアカウントを作って、英語圏のファンのフリをして情報収集していた。そのアカウントでクリスは完全に無罪ではない、ということを話していたら、クリスの悪い噂をブロックするという名目で活動しているアカウントに「ファンのフリをしてデマを広めている」と言われ、ブロック対象だとツイートされてしまったりもした。すごくショックだった。事件はまだ終わっていないし、まだ何も解明されていない。クリスがどんな気持ちで本当は何をしたのかも分からない。もしかしたら他にも被害者がいるのかもしれない。そして事件について、被害者に対して、クリスがどんな思いでいるのかも分からないのに。現実は絶対に私を許してくれない。

現実の何が厄介って、何かを見て感動したり、好きだと思ったり、心を動かされたとき、どう頑張っても必ずクリスの事を思い出してしまうことだ。困ったことにこれはアイドルを見ている時だけではない。例えばそれが中年の俳優さんでも「もしかしたら50歳になったクリスがこんな役をやってたかもしれない」「ひょっとしたら凄く太って名脇役になってたかもしれない」「すっごく歌が上手くなってミュージカルに出てたかもしれない」なんて思ったり、ひどい時は全然関係ない一般の方を見ても「40歳になったら芸能界を引退して奥さんと子供と仲良く暮らしていたかもしれない」なんて考えが止まらなくなって、それがどんなものであっても、いくつもの可能性がクリスの未来ではなくなってしまったものとして無限に存在していることに気づいて、数日塞ぎ込んだりしていた。こうなるとSNSも見られなくなって、泣き疲れて眠るだけの毎日になる。この呪いはしばらく続きそうな気がする。

逮捕からわりと時間が経ったある日に、まだ開封していなかったクリスのフォトブックをようやく手に取った。そっと開けてみたら、2ページ目で涙が止まらなくなって、なんか一周して笑えてきた。同時に、クリスに言いたかった感情のあれこれがやっと恨み言として言葉になった気がした。クリス、どうしてそんなことしたの?wechatやボイスチャットの証拠をたくさん残しておいて、それでもバレないと思ってたの?バレてもなんとかなると思った?毎日のようにクリスを出迎えるファンとか、マスターさんの顔が一瞬でも浮かばなかったの?それともファンなんてどうでも良かった?それにどうしてクリスや事務所の行動を止めようとしてくれる人が一人でもいなかったの?聞きたいことがたくさんある。クリスに関するニュースは落ち着いて、事件に興味を持つ人は減ってしまったけど、だからといって終わらせてはいけない。クリスから目を逸らしてはいけない。だからまだ、さよならもありがとうも言わないでおくつもりだ。

11月6日はクリスの31歳のお誕生日だ。2017年の誕生日には、「10年後の自分はどうなってると思いますか?」の質問に「結婚して子供がいるんじゃないかな」と答えていたのを思い出す。敢えて「結婚をして子供をつくって幸せな家庭を築く」ことを「普通の人生」と呼ぶとするなら、クリスの発言が口先だけではないのなら、彼は少なくとも普通になろうとしているように見えた。そんなクリスを見て、当時の私は「神様なんだからそんなこと言わないで!」とか言って落ち込んでいたが、今となっては勝手なもので、結婚して子供と暮らすクリスが見たかったなあと思う。いや、別に結婚や子供の有無なんてどうだっていい。クリスが思う幸せがそこにあるのなら、どんな形だってよかった。どんな姿だって構わなかったのに。ファンとして10回目の誕生日を、こんな形で迎えることになるなんて思わなかった。でも、クリスが本当はどんな人だろうと、どんな人間であろうと、誕生日を祝われてはいけない人なんてこの世に存在しないし、祝うことが許されない正当な理由なんてない。私の信じたクリスが嘘ばかりじゃないのなら、きっと自分のしたことを理解していると信じている。甘いかもしれないけど、軽蔑されるかもしれないけど、まだ私にはクリスを嫌いになりきれない。クリスのどこかに嘘があっても、私がクリスを好きだった時間に嘘はないのだから。世界で最後の一人になっても、クリスの誕生日を祝い続けるつもりだ。クリス、最後まで見守るからね。お誕生日おめでとう。