地域活性化を考えるとき、三島を参考にするべき理由
社会科が好きで、当地の人生を想像する旅をしている僕にとって三島市は、全国の町をながめるための基準値になるといえる。律令制から武家政治、明治の近代化から、モータリゼーション、そして平成的な開発。そういった時代の経過でどう町が変化していくのか。ここまでとらえやすい町はないと思う。
水と土地。気候。エリア間の人の動き。そういった地理的な見方がわかりやすい。上記の歴史的な見方がわかりやすい。そんな条件からできあがる、食や暮らしの文化面などもとらえやすい。
たとえば水と食は関係しているし、歴史と食も関係している。また歴史は、上品な気質だったり、ワイルドな気質だったりに関係しているようだ。地理的条件から、産業、仕事の傾向もかわる。仕事による気質のちがいなどもあるようだ。
よけいなことをいうと、観光地は「生活」の要衝な土地ではないといえる。三島は観光もあるが、大観光地ではなく、全てがパッケージされた、あまり多くないタイプの町だと思う。
つまり三島市は、ものすごくバランスが良い町だ。だから各地の地域活性を考えるときに、基準値にできる。
小型の地方都市に行くと、事情や苦労は様々なようだ。しかし共通して見えてくるのは基本的なことだ。土台にあるのは町の生活の場としての器。医療や学校、交通。それと仕事と日常の動線など。それらが安定したまち、安心できる暮らし作りで、手放してはいけないことだと感じる。
ただ、それら全てを一つの自治体だけで揃えなくてもよい場合もあるようだ。例えば、ランチやカフェは、車に乗ってハブになる街に出かければ済むようなところも多い。
そうやって、大枠から考えることと、そこを歩いていて思い浮かぶことと、両面から考えていくと、その土地に互換した将来性の高い取り組みが考えられると思う。
三島市の中心地は歩いて回れるサイズだ。また周辺地域のハブにもなっていると思う。その点で、大枠で眺められると同時に、小型の町的な取り組みも眺められる。そしてそれでうまく成り立っている自治体だと思う。
もし僕が三島市で生まれ育ったとしたら、JR駅前周辺が気になるだろう。しかし、ホームページにある概要を読んだ限り、開発の基本方針に納得できる。というのは医療を考えていたからだ。
もちろん不利益をこうむる人たちがいるのだろうから、よそ者の僕は余計なことをいいたくない。これは賛成意見ではなく、僕の頭の中の考えだ。
また、水の影響か落ち着いた生活からか理由はよくわからないが、町の食堂の、ごはんのレベルがエラい高かった。「ライス」のレベルが高い。これは地味にデカいことだと思う。
歴史的なものや、寺社、墓地などがきれいにされているのも地味に効くと思う。特に墓は町の歴史的な格付けなど関係なく、民家と同じようにどこにでもあるはずだ。世代分裂など関係ない存在なので、墓の手入れをあたりまえでやるようだと、域内の空気の停滞はしにくいのではと考えている。
三島市は、社会科的な感覚を身につけるのにいいと思う。僕は三島を歩いて観察して、社会科的な思考がだいぶ整えられた。
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