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ユウナになりたかったオカマの話

少し前から、とある動画の影響でファイナルファンタジーⅩ(FF10)が再ブームになっているらしい。今でも動画から産まれたネットスラングをときたま目にする。

みなさんFF10はご存じでしょうか?FF10自体を知らなくても、ファイナルファンタジーを知らない人は少ないと思う。

ファイナルファンタジーシリーズといえば、ドラクエと対を成す王道のRPGゲーム。何を隠そう私には、そのファイナルファンタジーシリーズの10作目であるFF10にどハマりしている時期があった。また、そのヒロインである「ユウナ」に憧れを抱いてもいた。

再燃したブームが緩く続いている今、その波に乗じて私とユウナの出会い、憧憬の念を抱いたきっかけ、当時を振り返って今思うことを書いていきたいと思う。何かに憧れて生きていた時期って、振り返ると総じてアイタタタ…と感じてしまうことが多い。全人間にそういった経験があると信じて、私のアイタタタ…にお付き合いいだければ幸いです。


1. 私とユウナの出会い

私がFF10を知るきっかけになったのは某動画サイトで見た実況動画だ。

当時中学生だった私は明るい人間(今どきの言葉でいうと陽キャ)ではなく、どちらかというと暗くオタク寄りな人間だった。また、セクシャリティの1つ2つほど拗らせており、そこに誰しも一度は経験するお年頃な病、中二病も合わさり、まぁなんというか、少し痛々しい中学生だった。友達もいるっちゃいるが少なかった。部活動で爽やかに汗を流したり…なんてことはなく、放課後はもっぱらネットサーフィンに勤しんでいた。

ネットサーフィンでしていたことの1つとして、某動画サイト(動画上にコメントが流れるあのサイト)で実況動画をよく見ていた。当時好きな実況者が何人かいて、その内の一人がFF10の実況を始めた。その実況動画が私とFF10の出会いとなった。

FF10を知らない方に説明すると、FF10は主人公であるティーダという青年が、気づいたらスピラと呼ばれる世界に飛ばされ、そこで冒険しつつ様々な謎に迫っていくという物語である。こう書くとよくある物語のように聞こえるが、主人公とプレイヤーの視点がリンクしているなど構成がすばらしく、次第に私は実況動画よりもFF10自体にのめり込んでいくようになった。

物語の序盤、主人公ティーダはユウナという少女と出会う。ユウナは清楚で明るくて前向きで、ずば抜けた優しさを持ち合わせている天使のようなヒロインである。これだけだとユウナはただのThe理想のヒロインであり、キャラクターとしては薄っぺらくなってしまうが、彼女の真骨頂はそこではない。彼女は大きな影を抱えているのだ。

スピラにはシンと呼ばれる怪物が存在している。シンはとても大きな怪物で、定期的に現れては街を壊し甚大な被害を生み出していく傍迷惑なやつである。そのシンを倒すには召喚士と呼ばれる役職の人(才能がある人しかなれない)が、「究極召喚」と呼ばれるものすごい召喚をすることでしか倒せない。ユウナはお父さんが名高い召喚士で、ユウナ自身も召喚士であり、シンを倒すために旅をしている。ティーダはその旅に出発するタイミングのユウナと邂逅する。

ユウナはお父さんが名高い召喚士であることも相まって、スピラ中の人からシンを倒すことを期待されており、旅の道中でよく声援を受ける。それに明るく丁寧に応えるユウナ。主人公ティーダもユウナに激励しつつ、旅を続ける。しかし、旅の中盤でティーダは、究極召喚をすればシンを倒すことはできるが召喚士自体、つまりユウナは死んでしまうことを知る。この事実を知らないのは違う世界からスピラに来たティーダだけで、スピラ中の人は知っていることであった。ユウナは自身が死ぬことを知りつつも、他者のために決意を固め、明るく気丈に振舞いながら旅を続けていたのだった。これこそがユウナというヒロインが抱えている影であった。

と、ここまでのストーリーを実際にゲームをしたのではなく、実況動画で知った中学生の私。ふと動画上を流れるコメントに目を向けてみれば

「健気すぎる」
「ユウナ、いい子すぎる…!」
「かわいい」
「守ってあげたい…!」

上記のようなユウナをたたえるコメントが流れていた。確かにそうである。私もユウナというキャラクターがとても好きになったし、シーンによっては胸がつんざきそうになった。同時にこうも思った。


「私もユウナのように辛い現実があっても明るく前向きに振る舞いたい。そしてそういうところを健気、かわいいと思われたい…!


私の奥底で燻っていた承認欲求に火がつき、ちょっとしんどい方向に自分の人生の舵を切ってしまった瞬間であった。


2. ユウナになるための条件

「ユウナみたいになりたい!(そしてチヤホヤされたい)」と思った中学生の私。私が実践したことは大きく2つある。

  1. 影を背負う

  2. 負の側面を前面に出さない

まず1つ目の影を背負う件について。上述したようにユウナは表面上は明るく見えても、悲しい影を背負っているキャラクターである。ユウナになるには世界を救うために自分の命を犠牲にするまではいかなくても、そこそこの影を作り出して背負わないといけない。

この1つ目の山は簡単に乗り越えることができた。良くも悪くも当時はセクシャリティのことで悩んでいたため簡単に影を作り出すことができた。
「自分は一生孤独である」
「誰もわかってくれない」
「自分が世界で一番不幸である」
といった心の隅々に散らばってる、大人になった今では「いやいや、そんなことないで」とツッコミをいれたくなる闇を集めて固めて、影を作り出していた。これで他人とは違う悲しい宿命…という影を背負うことができていた。1つ目の山、クリアである。

影を背負うことができた中学生の私、目指すは2つ目の山、「負の側面を前面に出さない」である。ユウナは悲しい影を背負っているが、その影からくるしんどさを全く前面に出さない。間違っても迂闊に「マジ病み~」とか口走ってはいけない。影を他者に気取られることなく、明るく振舞わないといけないのである。

これが結構しんどかった。機嫌がいいときや何かいいことがあったときは明るく健気に前向きに振舞うことはできるが、人生いつでもいい状態は続かない。晴れの日もあれば雨の日もある。ユウナになるためには雨の日でも、傘を差さないでびっちょびっちょの状態でも笑顔でいないといけないのである。

2つ目の山はなかなか困難だった。1つ目の山が天保山だとしたら、2つ目の山は富士山である。何度も心が折れて滑落しそうになったが、憧れのユウナになって私も多くの人から健気でいい子でかわいいと思われたい…!私はこじるにこじらせてとんでもないことになっていた承認欲求をガソリンにして、高校生、大学生、社会人になってもえっちらおっちらこの山を登り続けていた。登山をやめない私がどんな人間になったか、次はそのことを書いていきたいと思う。


3. ユウナに憧れた私のその後

自分で影を作って背負いつつ、その影から生まれる負の気持ちを前面に出さないことを続けた私。果たして私はユウナになれたのか、健気で守ってあげたい系になれたのか、答えは否である。ユウナどころか何かの拍子でいきなり爆発する、一触即発辛気臭いボンバーオカマとなってしまった。

健気さを引き立たせるために作り出した影であったが、作り出したとは言え原材料は正真正銘の自分の心の中にあった負の感情である。ユウナとなるために自分の負の感情を押し殺していた。表面上は明るく振舞っても、着実に心の中では負の感情が増幅しており、何かの拍子でたびたび爆発していた。

高校時代は突然糸が切れて無気力に襲われ、学校をさぼったりしていた。タイミング問わず休むので、仲良くしていた友人や部活仲間には度々迷惑をかけていたと思う。大学生になってお酒が飲めるようになると、爆発の頻度は増えた。アルコールがダイナマイトとなり、ユウナとなるために登るべき2つ目の山を度々爆発させていた。いつしか私はお酒を飲むと辛気臭くてめんどくさい話しかしない、とてつもなくめんどくさい酒癖を持ち合わせている人間となってしまっていた。

負の気持ちを押し殺して隠して健気に生きてるつもりが、思わぬ形で(しかも人に迷惑をかける形で)負の気持ちが表に出てしまい、気づけばユウナからかけ離れたモンスターとなってしまっていた。こんなに頑張ってるのにどうして…と途方に暮れる私。そのストレスからお酒を飲む私、そして負の気持ちがだだ漏れてしまう私、閻魔様もびっくりの地獄の負のスパイラルである。

それなりに努力はしていたと思う。自分で作り出した影とはいえ、その影に押し潰されずに勉学、部活動、仕事、その他諸々に従事していたと思う。ただ努力ってあんまり他人に見てもらえない。他人って見ていないようで見ているとよく言うが、個人的に他人は見ていないようで見ている…と思わせといて結局は見ていないものだと思っている。

当たり前の話ではあるがユウナはゲームの登場人物である。ユウナという人物がどういった感情を抱いていて、どういった努力をしているのかは、ゲームをしている人が追いかけてくれるし、理解しようとしてくれる。そして健気だと思ってくれる。

現実世界で生身のただの一般人に対して、そうしてくれる人なんてほとんどいない。みんなそれぞれに自分の人生があって、自分のことで忙しい。私はユウナになるために意識的に影を作り出していたが、人間だれしも作り出したものであれ、そうでないものであれ、何かしらの影を背負っている。その影の大小は人それぞれだし(他人が測ってはいけない)、向き合い方も人それぞれだ。真正面からお相撲さんよろしくぶつかり稽古していく人もいれば、捉え方を変える人、気づかないふりをしている人もいるだろう。いずれにせよ、みんな自分の影とお付き合いしていくのに忙しい。他人の影に付きっきりでかまっている暇などないのである。子供ならまだしも大人ならば自分で自分のケツを拭かないといけない。汚れているケツを晒していても蹴りをいれられるだけだ。

結局のところ、ある時点で私はユウナになるのを諦めてしまった。諦めたというと聞こえが悪いが戦略的撤退だと思っている。2つ目の山「負の側面を前面に出さない」は度重なる爆発で、よもや登ろうとするといつ滑落するかわからない危険な山になっていた。そんな山を登っていたらユウナになる前にズタボロになり、物悲しいBGMとともに行き倒れている自分をバックにGAME OVER…の文字が浮かび上がってくるだけである。人生だからセーブポイントにも戻れない。一度GAME OVER…したら人生のメモリーカード全消失である。

今でも自分のしんどいところ、そのしんどさに対して努力しているところってめちゃくちゃ他人に見てほしいと思っている。見てもらって「頑張ってるんだね」「健気だな」と思ってもらいたい。ただ前述したように他人は結局のところ見ていないので、その承認欲求を満たすには適度に自分から発信して、他人にわかってもらう必要があると悟っている。

相手との関係性を考慮しつつ、自分のしんどさをオブラートに包んで、相手に発信する。相手が食いついてくれるようであれば、言葉を選びつつオブラートを少しづつ剥いでいく。めんどくさいけれど、絶妙な塩梅で発信して、たまにこうやって影からくるしんどさのガス抜きをしてあげる。誰かがずっと自分のことを見てくれてて、優しい言葉でもくれたら、たちまち一気にガスが抜けるのだがそうは問屋はおろさないので、こうやって適度に自己発信して、承認欲求を満たしてあげるのしかないのだ。

2つ目の山を登り切れなかった私だが、他人からの気づきがなくても、主体的に承認欲求を満たしてあげて、前に進むことができる人間に少しづつシフトチェンジできるようになっていった。


4. 終わりに

私はユウナにはなれなかった。彼女みたいに常に前向きで明るくなれなかった。主人公ティーダみたいに真っ直ぐぶつかってきてくれる人もいない。世界一ピュアなキスもできない。途中モンスターを介しつつ、今存在するのは適度に他者に愚痴をこぼして痴態を晒しつつ、自分で自分のお尻を拭いて、自分のお尻をせっせこ叩いているオカマである。

ユウナとはかけ離れた存在になってしまったが、今の自分はそこまで嫌いじゃない。間違いなくユウナに憧れ続けて、察してちゃんモンスター・察してもらえなかったら独りでに爆発するモンスターになってるよりかはマシだ。

ありがとうユウナ、あなたがいてくれたおかげで私は成長できました。ありがとう。時々あなたを思い出しては成長した自分を感じられて、頑張っていこうと前向きな気持ちになれます。今後も誰かの行動を待つのではなく、自分から動いていける人間になっていきます。

最後にFF10の中で私が一番好きなユウナの台詞で締めたいと思います。

悲しくても……生きます
生きて 戦って いつか!
今は変えられない運命でも
いつか……かならず変える!


みんな!悲しくても生きてこうね!

寂しい夜は、ウィスキー片手にユウナの台詞を口ずさむオカマなのであった。

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