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【読了】「神は数学者か?―ー数学の不可思議な歴史 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫〈数理を愉しむ〉シリーズ)」マリオ リヴィオ (著), 千葉 敏生 (翻訳)

https://www.amazon.co.jp/神は数学者か-―ー数学の不可思議な歴史-ハヤカワ・ノンフィクション文庫〈数理を愉しむ〉シリーズ-マリオ-リヴィオ/dp/4150505071

 この本は私大文系日本史選択の自分でもスラスラ読めた。学生時代は数学が苦手で、「この公式はどこからでてくるのか?」とかそういうことが気になってしまう厄介な症状があった。
 数式の展開などに対しても、どこからこの方法を持ってきたの?現場でこれをどう思いついたらいいの?みたいな。
 最終的には点数のためにやむなく記憶してパターン化して、定期試験を逃れていた。しかし、応用とか展開みたいなことができなかった。

 対して歴史は暗記すれば良かったし、その暗記対象に必然性があった。つまり、歴史上の出来事は、起こるべくして起こったという考え方から暗記に結びつけることができた。

 本書を読んで初めて、数学にもその必然性があったのだという発想に思い至ることができた。

紹介

 本書の問いは、「神は数学者か?」である。言い換えると「数学的な真理は発見されているのか?それとも人間の発明にすぎないのか?」

 宇宙は数学によって分析でき、また、思いも寄らない人間の営みの根底に、数学的な構造が隠れていることが例示される(「数学の不条理な有効性」と呼ばれる)。
 数学的法則はもともとそこにある。原初の状態では見えていなかったものも、これを人間が発見していくことで、宇宙の真理、人間の営みといった事象に至るまで、数学的に明らかにすることができるということになるのであろうか?そうであれば、数学はやはり神に与えられたものなのか?

 このような問いに答えるため、数学の歴史を紐解いていく。
 数学のおこりを示すのに、最初に出てくるのは意外にも(私が無知なだけだが)、哲学であった。
 哲学者としてまず紹介されるのはピタゴラス及びピタゴラス学派である。彼らにとって、「数とは、天界から人間の道徳まで、万物に宿る生きた実体であり、普遍的な原理であった。」。モナド(1という数)は、万物の根源であり、火、水、空気などと同じくらいの現実的な実体を伴うものであると同時に、あらゆる創造物の根源にある形而上学的な調和を意味する観念でもあった。よってピタゴラス学派にとって、数そのものが神であり、数学というのは神が作ったものを発見していく作業にほかならなかった。

 こんな調子で、数学のおこりは、哲学者の発想から生まれてきたことが示され、さらにピタゴラスの定理ができたことが示される。公式とは、こうやって生まれたのか、ということが一つ実感をもって感じられた瞬間である。

 この後も、アルキメデスやガリレオ・ガリレイ、ケプラーなどが宇宙に関する法則を次々と「発見」していく。また、ニュートンやデカルトは、宇宙の法則を数学と科学を結びつけて(数学と科学はもともとは結びついていなかった)導き出していったが、彼らにとってはこれらの法則もまた神が生み出したものであったと考えていたようであった。

 さらにユークリッド幾何学が生み出され、これが「真理」とされていく過程が描き出される。カントは「空間は人間の外的な経験から引き出されるのではない。空間は必然的でアプリオリな像である」と述べる。もし、そうでないのだとすれば、例えば二点間を結ぶ直線は一本しか引くことができない(ユークリッド幾何学の公理)ということも必然的ではなくなり、経験的にしか教えられないということになる。

 確かに、直観的にも、これは正しいように思えてくる。2点間を結ぶ直線が2本引けるということはないと考えなければ、その先にある共通理解も成り立たないのではないかと。

 しかし、ここから、神は数学者であるとしてきたこれまでの考え方に、大きなゆらぎが生じてくる。上記ユークリッド幾何学の公理は第5公理と呼ばれるが、この第5公理は1から4の公理に比べて、やや複雑なものであった。そこで、これが成り立たないとすれば?新たな公理が「選ばれる」とすれば?これは新たな幾何学と呼べるのではないか?こうして、19世紀には「非ユークリッド幾何学」が生じ、これまで空間記述に必然的であると思われていたユークリッド幾何学は、あくまで「選ばれていたにすぎなかった」ことが明らかになってしまったのである。

 さあ、そうなると、やはり神は数学者ではないのか。発見されたものではなく、単にそう作られたというだけなのか。数学は非ユークリッド幾何学を経て数学者のための数学に戻るかと思われたが、その後も科学分野やそれ以外の部分への転用がされていった。とすれば、やはり法則はもともと存在するのか?

 こういった堂々巡りになりそうな議論に筆者は一定の結論を出している。個人的には結論はあまり問題ではないように感じたものの、逃げずに議論していることが重要であると思われる。

 以上のとおり、簡潔に紹介したが、歴史的な読み物として、数学の成り立ちというのは非常に面白かった。このように見ていくと、その中に出てくるピタゴラスの定理を始めとしたあらゆる定理も、文脈をもって生まれてきたことが感じられる。しかもそれが、単に数学の研究として生まれてきたというよりは、哲学や科学、物理学、統計学といった他の学問とのつながりで生まれてきたものも多かった。また紹介しなかったが、微積分学が生まれてきた背景なども説明されている。このような関連で今数学の授業を受けたとすれば、学生時代とは全く違う印象を持つことだろう。

 学生時代にここまでの歴史の説明をされてもそれはそれで多分興味がわかなかったのではないかとも思うが、急にこれが三平方の定理だと言われて覚えさせられるよりはるかに定着率は上がるだろうし、数学に対する抵抗感も軽減できるだろう。子供が数学を勉強する歳になる頃に、本書の紙版を購入して簡単に読ませてみようかな、とすら思える、良書であった。

 追伸
 この後、哲学入門本をよみ、「数学の世界史」(加藤文元)を読んだので、また時間があればレビューしたい。


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