役割語switchingなんてあるの?

code-switching、styleshiftは聞くけどkyara-switching/kyara-shiftみたいなのもあるんだろうか。あるならどういう状況でどんな話し方が求められてるかとか、どんな相手だとどう話したいと思うとかそういうのがもう少し明らかになるのかなと思うけど。キャラは個人が「こういうキャラでやろう」と選択してるだけじゃなくて、例えば昨日の本でいえば属する集団によって与え決められたキャラを個人が演じるときは、定延先生の例に出す「なぜかこういうキャラになっちゃう」みたいな時もあるわけだから、「つい」みたいな感じでキャラが切り替わる可能性は十分あると思う。

コードスイッチング自体を調べると、二種以上の言語体系ないし言語変種の切り替えが行われること、とあるから、実際役割語スイッチングがあったとしてもこの中に含まれるのか?でもスタイルシフトがレジスターの変化を伴うものという点ではこっちの方が近いような気もする。ただそうすると定延先生のいう「キャラはスタイルと人格の中間にあるもの」(=スタイルではないということだよなぁ)という主張を参考にした時、役割語switchingまでスタイルシフトに含めてしまうのも違うような気がする。詳しくスタイルシフトを見てみた方が早いか。

Style shifting refers to a single speaker changing style in response to context (Wikipedia).
Style-shifting is a manifestation of intraspeaker (within-speaker) variation, in contrast with interspeaker (between-speakers) variation. It is a voluntary act which an individual effects in order to respond to or initiate changes in sociolinguistic situation (Wikipedia).
In recent developments of stylistic variation analysis, scholars such as Allan Bell, Barbara Johnstone, and Natalie Schilling-Estes have been focusing on the initiative dimension of style-shifting, which occurs when speakers proactively choose between various linguistic resources (e.g. dialectal, archaic or vernacular forms) in order to present themselves in a specific way. In initiative style-shifting, speakers actively engage in social practices to construct social meaning (Wikipedia).

私が読んだCoupland(2007)にもこの辺りのことは確かに触れられていたな。social meaning constructionの点とself-productionの点では役割語やキャラ発話は似ていると思うけど、そこに自主性の部分があるのかどうか気になる。役割語やキャラ発話は特定の話し方が特定の人物像を想起させるときとvice versaの場合のその話し方のことであって、想起させているのは言い換えれば確かにsocial meaningだったりするかもしれないが、それを発信しようとしてその話し方を選択してるのかな?でも自分をこう見せたいというself-productionから結果的にsocial meaningを構築してるというのは筋が通るか。

なんとなく文献の概要を見てると(ちゃんと一つひとつ読みなさい)、日本語は文末に現れる文体によってスタイルのシフトを区別してるみたい。なるほどスタイルのシフトを見るときにはそういうスピーチスタイルマーカーが指標になるのか。そうすると役割語やキャラ発話はマーカーがしっかりキャラリンクしてるものと、その他のデスマス・ダ体だけではリンクさせることが難しいキャラ分類があるように思う。例えばリンクするキャラが表面的な属性の場合はスピーチスタイルマーカーで簡単に示唆されやすい。男女、(対話者との関係上)年上年下、とかね。けどそれがもっと内部のキャラとリンクさせたいとなるとまだマーカーが十分に確立してるとはいえないと思う。姉御キャラ、ボケキャラ、天然キャラとか、パーソナリティに関わるあたりは難しいかも。ただ第一回目の記事でちょこっと触れた西田先生の「属性表現」にみられるツンデレとかはある程度マーカー化されている部分もありそうだな…「〜なんじゃないんだからねっ!」とか。あ、だから社会的属性(いわゆる役割語によって示唆される属性、キャラ)はスタイルと近しいところがあるが、性格的属性(属性表現によって示唆される属性、キャラ)はそれよりも深い部分にあって到達されてない、みたいな感じなのかも。そうすると役割語スイッチングは結局のところ程なくスタイルシフトに近くて属性表現シフトの方が垣根を超えた概念なのかもしれないなぁ。

ハッ!でも役割語というより定延先生のキャラ発話で考えるとスタイルシフトなわけがないぞ、定延先生曰くスタイルはシフトが対話者の目の前で起こってもおかしくないが、キャラをスイッチすることは逸脱的なのだから。こうなると役割語とキャラ発話を混同するのも違ってくるのか、結構共通点も多いと思っていたけど…。

これの冒頭を読んだらスタイルはそもそも超丁寧体、丁寧体、普通体に区分されると書いてあって、ということは役割語はスタイルにも含まれるが全てではない感じか。

https://yone.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=460&item_no=1&page_id=13&block_id=21

待って、社会言語学では位相語(≒レジスター)と役割語は区別するって書いてある。役割語はフィクションのみでの言語と書いてある。なるほど役割語の方は割と第一回で触れた巨視的コミュニケーション側の概念か。でもキャラ発話の方は現実世界でも表出されてることになってたはず。あー、これからは定延先生の概念の方を使った方が良さそうだな。私はフィクションではなくてやっぱり現実のコミュニケーションを分析していきたいなぜひ。

う〜ん、こうなると今度はスタイルをもっと詳しくみていきたいな。相手との距離感、メタ状況の伝達、、面白い。ポライトネスとの関連、オーディエンスデザイン、CAT以外にもAct of Identityらへんも勉強して、そしてまた役割語、キャラ発話、属性表現との関連性に戻ってきたい。以前読んだ文献にもとても面白い社会言語学のスタイルの研究があったが、それも少しキャラ的な側面から捉えられる部分があるようにも思えてきた。次のゴールはそれにしよう、スタイルへ一旦戻ってしっかり知識を身につけたらその論文をもう一度今度はキャラ、役割語の点で読み直す!楽しみ〜わくわく。(今回ただ迷走しただけの記事になった)

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