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silver story #52

私たちの車はようやく日本の大使館に到着した。今からやらなければならない様々のことを三人三様に考えながら車を降りて大使館入り口に向かって行った。

三人三様と思ったのは、みんな黙っていたからで私は、まず、事の経緯を職員の人に話さなければならずその後の手続きもあるだろうし、それから日本の光一さんに電話しないといけないという大仕事で頭がいっぱいだったし、ユキさんは、今から話すであろう自分の本当の父親とのことでいっぱいだろうと見ただけで感じるくらいそわそわしていたからだ。
お母様は言うまでもない。いつもの優しい微笑みはなくその目は、どこか遠くを見つめていたからだ。

大使館と言ってもそれは、デンパサール国際空港の絢爛豪華で近代的な建物と違い、日本のちょっとした大きな町の公民館くらいの建物だった。
しかしそこはやはりバリのもので入り口まで行く前にある門構えが、あのバリ独特の門構えで、バリの神様が正面上部に顔だけ大きくいて侵入者を品定めしているようだった。

え、ちょっと待てよ。あの大きな目玉と大きく開いた口はどこかで見たような………⁈

ああ!!あの夜ファインダー越しに私の目の前に飛び掛ってきた塊じゃないか!
グルグル回る目玉と牙だらけで大きな口のあのオレンジの塊じゃないか!

そうか、そういうことだったんだ。私がバリに来てこの領事館の前に立った時に、すでに決まっていたのかもしれない。

呆然と門を見上げている私にお母様は、近付いて来て肩を優しく撫でてくれた。そして背中を優しく撫でてくれた。

「お母様…あの、アレは…あの夜の…」
「沙耶、何も言わないでください。」

お母様はそう言って、いつもの優しい微笑みを浮かべながら私をゆっくり前に進むように促してくれた。

私は、お母様の言葉で思い出した。あの事は口にしてはいけなかったのだったと。
そして車の中での迷いもぐっと押し込めて二度と出てこないようにしようと決めた。

私は、選ばれたのだ。

昔幼い頃、一瞬の出来事で妙に視野が広がり自分がなんでもできるんじゃないかと思いこみ、足を高く上げながら行進する事がよくあったが、その時の感覚が急に蘇ったようで、お母様に背中を上から下へなでられる毎に胸を前に突き出して偉い人のようにして前に進んで行った。足の痛みで高く足を上げることはできなかったが気持ちは、あの頃の行進するのと同じだった。
横いたユキさんは、一瞬驚いたようだが、私につられて顔をちょっと前に突き出して笑いながら歩き始めた。

私は敵に挑む戦士の気分で勢いよく腕を振って大使館の入り口に向かって行ったのだった。

何しろ私はバリの神様に選ばれたのだから。

大使館の職員に話をした後は想像どうりで たくさんの書類に目を通しサインをしなければならなかった。私の無事を喜んでくれた職員がいたのにはちょっと安心したが、はじめに話をした人にはかなりの嫌味を言われてしまった。
まぁ私でも同じことをするだろうと思い何度も頭を下げて謝っていた。

お母様が私の怪我や、体の様子をうまい具合に話してくれて連絡の取れない状況だったと助け舟を出してくれたので長々したお説教や嫌味それ以上は免れ、とりあえず事務的な手続きは終えることができた。パスポートを無くしてなかったことがより早くここを出れることだとわかり、後は日本の光一さんへ電話をかけることだけになった。

「今から、光一さんに電話をしますよ。いいですか?ユキさん。お母様。」

「少しだけ待ってください。ユキと話しますから。大丈夫?沙耶。」
そう言うとお母様は、今度はユキさんの背中を優しく撫でながらユキさんの顔を見て少し離れた場所に連れて行った。

突然自分の過去と向き合ったあの夜のようにお母様は、また時を戻して向き合うのだからユキさんに気遣いするというよりお母様自身が、心構えや、覚悟をする時間が欲しかったのかもしれない。
昔愛した恐らく今でも心の奥深くにいつもいた最愛の人に触れあうのだから。

お母様がユキさんの背中を撫でるその手は、自分の心を落ち着かせる作法のように私の目に映っていた。

#小説 #バリの話 #デンパサール #あるカメラマンの話

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