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ひと昔前は、どんなふうに感じ考えていたかというと、

何が好きだったかというと、

仕事が途切れた瞬間に、どこかに旅し、何日か何週間かこもって、友人と騒いだり、議論したり、本を読んだり音楽を聞いたり、湖や川で泳いだり、カフェでぼおっとしたり、そしてとりとめのないことを書いたり、思索したりするのが好きだった。
そういう時間は、スリルと満足感をくれた。

その習慣は「インスタ」の出現で乱された。

朝、目覚めるとまずスマホを見てメッセージやニュースをチェックしたり、「インスタ」に飛んだりする(それはフェイスブックでもツイッターでもいいが、ここではSNSの代名詞として「インスタ」という言葉を使う)。
別にそれがどうということはないのだけれども、そうやって他の人のマインドをクルーズする。

朝一番にそれが人がすることだろうか?
そう、それが時間の最先端を生きる私たち現代人がしていることだ。
仕事の合間にコーヒーを飲みながら、同僚と話す代わりに、音楽を聴く代わりに、またしても「インスタ」。そして、また人のマインドをクルーズする。同僚と話していても、その隙に「インスタ」。帰って家族とご飯を食べていても、その隙に「インスタ」。
隙間は「インスタ」で満たされていき、自分のマインドの中の空白が侵食されていく。意味のない情報で頭までどっぷりつかって、弛緩している、だけど、自分を見てほしい、聞いてほしい、エゴの競り合い、それが私たちの「インスタ」生活だ。

その習慣を壊せ。
そんなものはひと昔前にはなく、ないからこそ、実にすっきりしていた。
誰がどこにいったとか、何を食べたとか、何を考えたかとか。
友人や知り合いや、会ったこともない人やら、無数の人たちが。
どれだけ「いいね」を収集したか、とか。
まとまった思考やまとまった言いたいことは読みたいし、聞きたい。だけどつぶやきは何の意味もない情報でしかなく(この投稿も例外ではないけど)、その人たちの現実は自分の現実とは違う。
「インスタ」と仕事とちょっと家庭、で毎日が過ぎていくのを、もうそろそろやめないか?

この危機感はスマホ前を生きていた世代にしかわからないかもしれない。
でも、少なくとも両方を知っている最後の世代だから、私は「インスタ」がなかった時代の濃い生活に戻ろう。
生活を毎日続けていく、それが人生。
そうだとしたら、その充実感は「インスタ」なしの人生にはかなわない。

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