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総合的判断とは何か?

◆総合的判断ってどんな判断か?

コロナの影響もありますが、最近、総合的判断という言葉をよく耳にします。最近の例でいえば、緊急事態宣言の指定や解除にあたって、必ず総合的な判断が必要だという文言がついて回ります。一応、定量的指標に基づくレベルや判断基準があるにも関らず、やはり最後は総合的判断だという話になります。

総合的判断とは、定量的な基準に対して、基準を満たさない意思決定を示すものです。エンジニアからすれば、定量的な基準があるのになぜと思うかもしれませんが、実はエンジニアリングの世界でも、開発だとか、運用で、明確な定量的なルールが決まっているにも関らず、総合的判断をすることは珍しくありません。ただし、表現としては例外的にといった言い方をする場合が多いと思いますが。。。


◆総合的判断の実態

公表されている英量的判断基準があるにも拘わらず、基準にそぐわない意思決定がされる総合的判断という概念には、2つのケースが考えられます。

まず、基準として公表している指標があるに加えて、基準として公表していない指標も含めて判断しているというケースです。

これは審査の原理です。例えば、クレジットカードの審査で「総合的な判断」という言葉が使われますが、これは「顧客の個人信用情報の内容や他社の利用状況、職種・年収・年齢・性別などさまざまな事を考えて判断する」という意味のようです。

また、入札のような審査においても、例えば、総合的判断という考え方はよく使われます。これは入札審査項目に入れていないものを審査として使っているという意味であることが多いです。

さらに、もう一つのケースとして、公表した指標はあるもののその指標は参考に過ぎず、最終的な決定は責任者(あるいは責任者チーム)が主観的に行うケースが考えられます。いわゆる政治的判断、経営的判断などと言われるものです。


◆カントのコペルニクス転回と総合判断

ちょっと脱線しますが、総合判断という概念はドイツの哲学者カントが使った概念です。カントは人間の判断には分析判断と総合判断の2種類があるとしました。分析判断とは「述語の概念がすでに主語の概念の中に含まれている判断」であり、総合判断は「述語の概念が主語の中に含まれていない判断」です。

ちょっと難しい説明ですが、例えば、「独身者は結婚していない」という命題を考えてみましょう。独身者といえば、この命題の述語で述べられている結婚していないということは自明です。これが主語の概念の中に述語の概念が含まれている例です。

これに対して、例えば、「地球は青い」という命題を考えてみましょう。これは人類が宇宙に出られるようになって初めて知り得たことです。このように、経験によって知り得たことにより言明する判断を総合判断と呼びました。言い換えると、主語に含まれていない概念が述語によって言明されることにより、主語に対する概念の幅が広がるわけです。

ここでカントはあくまで経験を介さずとも主語の概念を拡張しうる言明を思考だけによって可能であると考えていました。そのために記したのが人間の理性に何ができるかを徹底的に探求した「純粋理性批判」でした。

カントと聞くと「コペルニクス転回」を思い浮かべる人が多いと思います。コペルニクス転回は「認識が対象に従わなければならない」から、「対象こそが認識に従わなければならない」という転回することです。

もし、認識のほうが対象に従わなくてはならないとするなら、私たちはその対象をあくまで経験によって認識する他ありません。そうすると、経験する以外にどんなことも確認できず、何が真であるかを論理においてではなく、経験によってしか証明することができなくなってしまいます。そこでコペルニクス転回によって、対象が認識に従わなくてはならないと考えたのです。

この転回によって認識は経験からの従属を離れ、経験を介さずともまったくの思考によって対象の本質を捉えることができるようになります。これはさまざまな思考の基盤になっているものです。

興味がある人は、カントの著書「純粋理性批判」を読んでみてください。原書を読むのは大変なので、例えば最近NHK出版から出版された


などの解説書を読まれるとよいでしょう。


◆ビジネスにおける総合的判断とは

さて、話を本題に戻します。

総合的判断という概念が使われている2つのケース、公開していない指標も使った判断、指標がない中で主観で行う判断のいずれも、上位者が下位者に従わせる意思決定をするものです。これはビジネスの組織においても同じです。

工場によるものづくりがビジネスの主体であった時代であれば、総合的判断は経営者や上位管理者が行う

・経営者が会社の方針を決めるための判断
・部門長が部門の方針を決めるための判断

だけでした。しかし、今のようなナレッジワークが中心の時代になってくると、

・プロジェクトスポンサーがプロジェクトの方針を決定する
・プロジェクトマネジャーがプロジェクトの進め方を決定する
・チームリーダーはチームワークの方法を決定する

といった意思決定が必要で、そこでは完全に見える化するのは不可能です。そこで総合的判断を行うことになるのです。

特に、エンジニアなどの理系人材は見える化することに拘る人が多いですし、判断を(論理的に)説明をすることを求める人が多い傾向があります。従って、できるだけ具体的に決定しようとします。最近は理系人材に限らず、多くの人が判断の見える化を求めるようになりました。特に自分に関連することに対してはこの傾向が強くあります。

例えば、緊急事態宣言の延長のときに説明が足らないと思っていた人は多いと思います。たぶん、ビジネスパースンであれば、素人にはできない判断をして、素人にも分かるように説明するのが専門家だと思っていた人も多いと思います。これに対して、素人には理解できない判断をするので専門家なのだという意見を言って、批判を浴びている人がいました。


◆総合的判断にはコンセプチュアルスキルが必要

著者は、専門家に説明責任はあるが、それは定量的なものだけではないと考えています。

定性的、概念的な説明であっても説明責任は果たせるという立場です。言い換えると、物事には見える化できず、総合的判断が必要な部分が必ずあるという立場です。結局、意思決定の質はデータや情報の量ではなく、総合的判断の質だと思うのです。

高い質の総合的判断には高いコンセプチュアルスキルが不可欠です。コンセプチュアルスキルによって、判断の質が変わってきます。総合的な判断が政治的な判断だと感じるかどうかは、その判断の質にあると思われます。

ということで、コンセプチュアル思考力を高めて、総合的判断を適切に行えるようになりたいものです。ちなみに、カントの総合判断と分析判断はPMstyleの「コンセプチュアル思考」の軸を作るときに参考にしています。そのうち、コンセプチュアル思考におけるコペルニクス転回についても書いてみたいと思います。


◆コンセプチュアルリーダー塾について

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コンセプチュアルリーダー塾
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