三原瀬戸の明治27年灯台

画像1 大下島灯台は既出なので別カットを。鉄塔は旗竿で、昔、信号旗で船とやりとりをした物。階段の上は官舎跡地の広場。無人化は百貫島と同時期か。三原瀬戸は来島海峡を回避する航路で、その西口となる灯台。
画像2 大崎上島の、大下島と向かい合う中ノ鼻に建つ灯台。これだけ1990年撮影。本格的に灯台巡りをする前で、自転車とセットにして日付入り…同じ大崎上島の東端にあった鮴崎灯台は前記事を参照で…。鮴埼にもあったレンズの赤いフィルターは、その方向にある航路障害の岩礁を示す。
画像3 大久野島灯台。同じグループの中で唯一新築されている。元のは四国村に移築保存。大浜埼や小佐木島等の無人灯台と同じ仕様で、地理的条件から近傍の灯台も受け持つ管理事務所が置かれたのだろう。陸軍の毒ガス工場で知られる島だが、灯台のある岬は区切られていた。新築になったのは休暇村整備と合わせてか。
画像4 後ろ姿。灯台の建つ岬の根元側の広場が官舎跡地で、そこから灯台へ向かう道の入口から撮影している。
画像5 高根島灯台。ここは灯部が改築され灯籠が外されている。更に現在は灯器が最新の物に交換されている。灯台を囲む円形の塀はこの三原瀬戸明治灯台の無人灯台独特の物。
画像6 小佐木島灯台。監禁死事件のあった風の子学園は灯台の近くで、その廃墟があった。放置されている様で今でもそのままらしい。
画像7 大浜埼灯台。橋は因島大橋、あちらは向島。灯台背後の高台には旧潮流信号所の建物が残る。木板鎧張りの木造建物で、古い写真を見ると大下島・大久野島・百貫島に在った官舎も同様な鎧張りだった。比較的気候が穏やかだからか重厚な建物にしなかったのかな。
画像8 三原瀬戸の東口に在り、8灯台の中で最大規模の百貫島灯台。当初のレンズは大下島と同形だった様だが、この頃は大きめのだった。今でも回転灯器だが新しい物に変わっている。小さな無人島だが、昭和37年まで職員が家族共々暮らしていた。その木造の官舎に替り、コンクリートの機械室棟が建っている。三角のドームは大下島と同じだが、こちらの塔は円形。

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