藤井風「満ちてゆく」

私は流行りに乗るのがすごく遅い。
ぼーっと生きてるっていうのもあるけど
シンプルに天邪鬼だから。
気になりはするけど、ほとぼりが冷めてから
手を出し「なんでもっと早く、、、」と
後悔するアホである。いい加減学んでくれ。

藤井風「満ちていく」もそうだった。
世に放たれて1ヶ月。みんなが一通り聴いて
ファンじゃなくても口ずさめるくらいに
なっている時に私は初めてこの曲を聴いた。
深夜、自室でタバコを吸いながらふと
YouTubeを開くとオススメに出てきたから
意を決して再生。

泣ける。
初っ端の語りから引き込まれた。

things change, and we can do nothing about it.
just letting go, feeling lighter, and becoming filled.
Overflowing.

藤井風「満ちてゆく」歌詞より

物事は移り変わり、私たちはそれを
どうすることもできない。
ただ手放し、軽くなり、そして満たされる。
満ちてゆく。

どんな飯を食ったらこんな歌詞が書けるんだ?
どんな人生を送ったらこんな歌詞が浮かぶんだ?
全くわからん。(褒めてる)

満たされたと感じるのは何かを得た時だと
ばかり思っていた。
でもそれってとても一時的なものなんだよな。
自分のものになった瞬間に、その価値は
どんどん薄れていく。手にした時がピーク。
あとは劣化の一途を辿り、すぐに心は枯渇する。
変わりゆくものは仕方がない、それで良いと
思えるようになってやっと心が満ちていく。
こういう考え方もあるのか、と彼の曲を聴くと
よく思う。

愛されるために愛すのは悲劇

藤井風「満ちてゆく」歌詞より

恥ずかしながら恋愛は全くしてこなかった
人生なので身近ではないけど、ここもビビッと
きたよね。(なんで)
自分が愛されたいからという理由で
誰かを愛すことってなんだかはちゃめちゃに
虚しくない?切なくない?と思うの。
自分が愛した分だけ、もしくはそれよりも
もっと愛してほしいと思うのは、もちろん
悪いことではないよ。
でも際限なく求めてしまうから、衝突の原因に
なって、歯車が狂って別れが来る。
「自分はこれだけ愛してるのに」
「愛されているかわからない」
こうなってしまうのって、見返りを求めて
相手を愛しているからだと思うのね。
相手と愛情のベクトルに差があっては
両者が満たされることは無いし、我慢と不満が
生まれてしまう。
形のないものだから測れないし、難しいね。
「無償の愛」とはよくいうけども
見返りを求めない愛を注ぎ続けるのって
ものすごく労力がいるよね。知らんけど。
与えることで自分も相手も満たされると
良いよねって話。
私も今後もし良い人に出会えたらこの歌詞を
思い出して、共に歩んでいきたいですね。
今のところ予定はないです。

メロディも大好き。
イントロの懐かしさを感じるような
優しくて儚いピアノが好き。
1番はピアノと声だけの構成なのに、それだけで
ここまで人を満足させられるものか。恐るべし。
2番に入るといろんな音やコーラスが追加されて
それも良いんだよ。
自分の魅せ方を分かりすぎている。

藤井風の音楽を聴いている時にいつも思うけど
表現が綺麗なんだよな。
目を瞑りながら聴くと、より鮮明に歌の情景が
浮かんで来る。
それって彼の持つ語彙のレパートリーの多さから
来ているのはもちろんなんだけど
それだけではない気がする。
いくら語彙力があっても、言葉を並べるだけでは
人の心は打てないよなぁって思うのね。
誰かからの受け売りではない、彼自身が
今まで歩んできた人生の中で経験してきた
色々な出来事があってこその作品。
それを母国語で聞くことができて、意味を
ダイレクトに受け取ることができる環境に
置かれていることに感謝したい。
同じ時代に生きて、リアルタイムで作品に
触れることができるこの時間に感謝したい。

小さいことやすごいしょうもないことで
一喜一憂してしまうけど、それすらも
受け入れて、愛でていきたいね。
私の葬式ではこれを流してもらおう。

藤井風の作品を、私の人生のバイブルとして
今後も聴き続けたい、改めてそう思うような
素晴らしい曲でした。
聴いてない人は今すぐにYouTubeなり
Apple MusicなりSpotifyなり
Amazon MusicなりCDで聴いてこい。

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