サウナで潜在意識と対話した

5カ月ぶりくらいにサウナに3回入り、ととのってきた。
ととのっている最中に、顕在意識から潜在意識へ意識が移る感覚がありそこで降りてきたメッセージを記しておく。

”意識”でコントロールできる世界はまじもんの1割で、その1割が世界のすべてだと思い込むのはあまりにも息苦しい考え方である。
実は顕在しない意識、つまり自分の意識ではコントロールできない潜在意識が9割世界を占めていて、1割の意識の中でどう努力や枯渇を感じても9割の潜在意識が自分を支配していってしまうから、あらがえないということ。
本当に自分が思っていた願いやこうなりたいっていう願望は1割の顕在意識がむりやり作り出した虚構で、それは自分が囲まれている人間関係や見る情報からの色に染まり、さもそれがすべてで自分の価値、がんばる価値、生きている感覚をつなぎとめるための薬のようなものではないだろうか
本当は私たちは9割の潜在意識に支配されていて、その見えない意識はなにを望まなくても自分を肯定している。ただ、存在するだけで安心。私は生きているだけで心地がよい、ただそれだけなのである。
顕在意識が作りだした、”ホントウの自分”とか”やりたいこと”とかこういうのはSNSや時代が作りだした、不足を感じさせて金儲けをする企業の悪質な言葉なだけであって、この1割の顕在意識に生きている限り苦しみからは逃れられないのではないかと思った。
苦しみとは顕在意識下の五感で感じる、優劣、競争、妬み、不足、充足、など。特に現代は不足・不安からの願望が金儲けになるから、とにかくどこでもかんでも広告だらけである。広告を見るというのは潜在意識に不足と不安を刷り込む行為だと思っている。1割の顕在意識が不足でいっぱいになると、不足不安からの願望が増え、その願望を実現することがトレンドとなり、実現できていない自分へまた不足を感じる、不足していることが当たり前の自分となり一生苦しみから解放されないのである。

不足から生まれた願望は、虚構である。
1割の顕在意識に刷り込まされた不足でできあがった人生が、なんとかわいそうだと思わないか。
残り9割の可能性を知らずに、悪質な金儲けの”不足”のループにはまり自分の安心や自信に蓋をして生きる、これがこの社会9割の人々である。

わたしが、顕在意識から潜在意識へ移った時、顕在意識で考えているあらゆることがほんのちっぽけなことに思えた。そしてそれは、本当にそうなのか??という疑問をいだいた。なぜなら、潜在意識に移った瞬間にふわっと大きな安心に包まれすべての充足を感じ、顕在意識の1割にいる自分を客観的に見れたからだ。結婚するとか、年収○○万円あるとか、かっこいいセールスマンだとか、ぜんぶぜんぶこの世の中の仕組みや洗脳から、自分の脳が絞り出した欲だったのではないかと思った。
もし1割の顕在意識に刷り込まされる世の中の洗脳を無視したとしたら、どうなるのだろうか。たぶん、今の願いは願いでなくなり、まじもんのRPGゲームの世界で遊んでいる一キャラクターなんだと。結局そういうことになるんだろう。不足ではなく充足からくる願いに変わるだろう。

潜在意識の自分は、満ち足りていた。安心と充足、ふわっとした心地いい感覚。私たちを悩ましくしているのは顕在意識に刷り込まされる”不足を感じるイベント”であり、本当は充足、満ち足りているのに、不足を感じることで虚構の願いをラットレースのように追いかけてきた。そしてそれが生きがいのように、生きている理由かのように。

ちがうんじゃないか?
9割の潜在意識は充足だ。そして1割の意識がどうがんばっても9割には勝てない。9割を味方に、そして9割の潜在意識を動かすことのほうがだんぜん正しい考え方なのではないか。
9割の潜在意識は見えないし意識されないから、どうしても顕在意識の不足に苦しむだけ。本当は私たちは不足していない。あるんだ。すべてある。
だから、何も足りていないことなんてないしもう幸せになっちゃっている。

ここからやっと私たちの願望はスタートするのではないだろうか。


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