1人の目利きに見つけられる日までかくれんぼ

社長になりたい
経営者になりたい
有名になりたい
すごいって思われたい

そんな願望を大学1年から持っていたわたしだったが、4年間を通してさまざまな出会いと経験から果たしてそうなのか?と思うようになった

コロナの影響から仕事はオンラインにシフト、オフラインの需要が数年見込めないだろうと業界がめまぐるしくまわっている
これを機にYouTubeとインスタグラムへの介入がさらに増え、個人が発信をして広告収入を得るという流れに火がついた

そんな事態を見ているわたしもインスタグラムの発信に力を入れたり習字でパフォーマンスしてみたり、ピアノを弾いてみたり、、いろんなことをしてみた。というのも、インスタグラムで一定のフォロワーを集めて案件や収入につなげたいという思いからだ。

しかし考えるYURRYがまた余計なことを思い浮かぶのだ
なんでインフルエンサーになって日常の一瞬をわざわざ上手く撮れるまで時間使わなきゃなの?
なんでいちいち「何食べる?」「勉強中~」とかどうでもいいことをストーリーにのせておしえなきゃいけないの?
なんで日常の歩いてる風景をのせるんだ?それを見たい人がいるのはなぜ?

SNSというムダな情報源、インスタグラムに生活情報をさらすのは価値があるのか?
なんか一歩ひいて考えると、ムダ極まりないことを一日1時間ぐらい使ってるわけでしょ?
自己顕示欲をさらしてるだけで、たいして人はみてるわけでもないのに既読がつけばわたし見られてるんだ、と勘違いをし、どんどんフィルターかかった自分をさらしていく

なんだかみんなギャップと必死さがみえて、ダサ とおもってしまった
がんばって自分を誇張して得たフォロワーの味はいかがなんだ?


有名になりたい って思ってた時期あるけど、
いまはだれにも見つけられたくない
わたしを見つけないで
自分を誇張してまでフォロワーを得る必要があるのかと
それは一歩間違えれば見栄となる


そう簡単にみつかってたまるか
っておもってる
だれもがわかるすごいやつ には惹かれない

オレにはアイツがすごいやつだってわかる
そんなホンモノの目利きに見つけられる日まで。

んじゃ


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