通りすがりの者ですが
通り道に、小さな神社がある。
周囲を木に覆われていて、ひっそり、でも手入れはされていて、冷蔵庫くらいの大きさをしたお社と鳥居だけの神社。
なんとなく気が向いて立ち寄った時は、お賽銭を入れることにしている。
お願い事はしない。
三重県人の同居人が「伊勢神宮の正宮でお願い事したらあかん。あそこは感謝を伝える場所や」と常々言っているので、それ以来なんとなくお願い事をするのはやめたのだ。
が。
今年、手術をすることになり、無事終えられますように、そうこの神社にお願い事をしてしまった。
以前、どうしても縁を切りたい件があり、京都の某縁切り神社で縁切りの絵馬を奉納してお願い事をしたところ、書いた願い事以上の幅広い効き目で大変怖い目にあったので、最速でお礼参りの絵馬を奉納しに行ったことがある。
あれ以来、お願い事をし、無事終えたからには、お礼を伝えに行くことにしている。
なので今回、無事手術終わりましたのお礼参りにこの神社に立ち寄ったら、お祓いによく使われる白い紙がついている棒を振っている女性がいた。
近くに別の神社があるので、そちらの神職の方かなぁと思って、少し待つことにした。
が。
「時間かかりますので、お先にどうぞ」
振り返った女性にそう言われてしまった。
せっかくの気遣いだしと思ってお社に近付いてみたら、たくさんのお供え物とお神酒その他諸々が並んでいる。
これは…と思って慌てて参拝。
「今日はつきなみさいなんです。これから始めようと思っていたんですけど、よろしければご一緒にどうぞ」
漢字変換できないけど何かの儀式の日ということだけはわかった。
お社と鳥居の間には一人くらいしか立てないので、鳥居の外から見学させてもらった。
”つきなみさい”の”さい”の字は何だろうと考える。
後で調べたら”月次祭”だった。
聞き覚えのない祝詞。
静かな時間。
ちょっと神聖な空間に足を踏み入れてしまった。
月次祭が終わり、女性にこう言われた。
「ちょうど良い時に参拝されましたね」
私もそう思いました。
ありがとうございました。
お社と女性に感謝を伝えて立ち去ろうとしたところで、
「今ね、神様、宴会をしているところなんです。あなたもご一緒に、こちらをどうぞ」
笑顔で手渡されたみかんが、なんだかとても貴重なお裾分けをもらったような気がした。
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