「ノスタルジーに浸って生きるつもりはない」という話しをします。 ツータックって知ってる? 一応、説明すると「腰回りの布を折り込んで、見た目の立体感やゆとりを出すためのデザイン」というものらしい。 まあ、誰でも知ってるか。 でも、ある年代以前の人にとって「ツータック」とは少しだけ郷愁のともなった思い入れのある名称ではないかと思うのです。 今も、ズボン(パンツ)にタックの入ったスタイルはあると思うけど、ことさらタックを全面に押し出した話しはしないと思う。 そもそも「ノ
マウントとられたら、イヤミ言われたら、キツイ言葉浴びせかけられたら。 言い返したい、やり返したい、倍返ししたい。 と心の中で思う、けれどそれができない自分が嫌になってくる。 僕は、言い返す。 言いたいことが言えない自分がイヤだから。 過去にも、3回ほどブチ切れたことがある。 たまたま3回ともブチ切れに対して、嫌がらせがエスカレートすることはなかった。 幸いなことにコイツ面倒くさい、となって嫌がらせはおさまった。 「言いたいことが言えた」「嫌がらせがおさまった」と
「あした死ぬ幸福の王子」という本を読んだ。 イケハヤさんが紹介していたので読んでみた本です。 この本は哲学書といっても、専門書ではなく物語だ、そうSTORYなのです。 そして僕が泣いたのは哲学にではなく、そこに流れているストーリーにです。 少しだけ、話しの流れだけ話しちゃうよ、けどネタバレはしないよ。 ある国の王子がサソリに刺されるところから、この物語ははじまります。 そして医師から明日死ぬかも知れない、少なくともそう遠くない間に死ぬでしょうと余命宣告をされるので
ルールは守るべき!とは思うけど、それを声だかには叫びたくない 僕はルールを守る人、だった それはもう細心の注意を払って お天道様が見ているし、壁に耳があって障子には目があるんだから、人が見ていなくても細心の注意を払って間違いのないように生きてきた 世の中には刑罰なきルールはガン無視する人もそこそこいるのはわかっている たとえば、身障者優先の駐車場に停める健常者、駐車場ではない空きスペースへ迷惑駐車、待ち列への横入りetc… こう言う人達の心理、倫理、道理は僕にはわから
夢見がちな中学時代昭和に生まれました。 僕は無口で人見知りで素直で少し天然な「坊や」だった。 中学2年生になった僕は、兄にそそのかされた、「バンドやれよ」って。 エレキギター が弾けてイラストを描くのが上手くて工作も上手な兄に僕は憧れていた。 僕はその気になった。だって変身できるんじゃないかって思ったんだもん。兄みたいになれるかも、そして憧れのロックスターの様なれるかもってさ。 昭和はさ、ロックは不良、そして不良はロックだったんだ。当然、中学校はバンド禁止。 はい、