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ロックな音楽に救われてきた。マイノリティとは思っていなかった

夢見がちな中学時代

昭和に生まれました。
僕は無口で人見知りで素直で少し天然な「坊や」だった。

中学2年生になった僕は、兄にそそのかされた、「バンドやれよ」って。

エレキギター が弾けてイラストを描くのが上手くて工作も上手な兄に僕は憧れていた。

僕はその気になった。だって変身できるんじゃないかって思ったんだもん。兄みたいになれるかも、そして憧れのロックスターの様なれるかもってさ。

昭和はさ、ロックは不良、そして不良はロックだったんだ。当然、中学校はバンド禁止。

はい、僕は血迷いました。
署名運動なるものを田舎の公立中学校で大々的に展開したのです。

バンド禁止について兄に相談したんですよ。兄は「署名運動をしろよ」って言うじゃない。僕はその言葉を素直に信じて行動に移しましたね。ハイ、血迷ってます。

もう署名をどれだけ集めたのかは覚えてないんだけど、民主主義の原則に則って全校生徒の過半数を集めただろうか。いや、三分の一かも知れない、忘れた。

とにかく集めた署名を持って勇気を出して教頭の元へ行った。教頭は言いました「こんなものは一切効力ないよ」

全て終了しました。

暴動を起こす訳にも行かないし、こうして署名運動と言う熱き闘いは幕を閉じたのでした。

中学3年になると同時に父の転勤で僕は転校した。転校した先も人口5000前後の田舎町、僕は声をかけてくれた友達の勧めのままバレーボール部に入部。顧問の先生に「なんで入りたいんだ、精神を鍛え直すのか?」との問いに僕は「ハイ!」となんの迷いもなく答える。実際は、その質問の真意を良く分からないままの生返事。こうして新しい学校での生活が始まった。毎日バレーボールの練習して、そのあと友達と遊んで、それなりに楽しかったな。

その町で僕はロックの普及に努めた。と言うより遊んでいる時なんかに「聞いてみなよって」言ってると皆んな結構ハマってくれてロック好きを大量生産出来た。中学男子はロックが好きだ。

ちょうどヘビーメタル がブームになり始めたころで僕たちはLPレコードの新譜が出るとこぞって買いまくった。アイアンメイデン、グァンヘイレン、マイケルシェンカー、オジーオズボーンetc. 町唯一のレコード店は、この空前の中坊ヘビーメタル ブームによって3年後(僕が高校2年の時)に奇跡の新装開店を成し遂げた。

結局、中学時代に学校祭でバンドをやってスポットライトと拍手喝采を浴びると言う超妄想を実現することは出来なかった。おまけに署名運動を展開した中学校で公立高校には入れないぐらいの内申評価を受けていたらしく、当時の担任から「お前このままじゃ高校入れないぞ」と言われた。僕は体制に歯向かう危険分子、社会不適合者との評価されていたのでしょうか?
ただの夢見がちで素直でひたむきな少年になんと言う仕打ちなんでしょうか。

「先生、俺悲しいよ」

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学校どうしでやりとりしてくれて高校に行けないという事態はなんとか避けられた。

こんな感じで、なんやかんやで僕の中学生活は終わった。

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