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資格バトン〜介護支援専門員編〜

みおいちさん企画に参加させていただきました。

この場をお借りして、私が取得した社会福祉士について振り返って…

今回が第3弾になります😅

第1弾、第2弾はこちら↓

これまでの振り返りの中で、どちらかと言えば嫌な場面、つらかった場面を中心に書いてます(特に第2弾)😓

私の勤務していた病院がそんな考えだったというだけで、現在MSWとして働かれている方やMSWを目指す方が不快な思いをされていたら申し訳ありません😓

「そんな職場もあるんだね〜」くらいの気持ちで読んでいただけると助かります🙂

さて、前回の続きに戻ります。

「身体が不自由になった高齢者が自宅でどんな生活をされているのかも知らずに、このままMSWとして退院支援をしていてもいいのだろうか?」

という考えが、年々大きくなってきまして…

平成20年3月末で病院を退職し、同年4月から現在の社会福祉法人に転職しました。

介護支援専門員(ケアマネ)として、居宅介護支援事業所での勤務です。

これまで約半年間のデイケア勤務を除き、入所者さんや入院患者さんと接するばかりだったので、自宅で生活されている高齢者さんとの出会いは新鮮なことばかりでした😆

まずは、何といっても「自由」!

食事や服薬まで管理されている施設や病院と違って、何を食べようと薬を飲み忘れようと😅

心細いときもあれば、転んで怪我をされることもある…。

けど、「自宅がいいんだ!」と決めている。

中には、「施設に入るには年金が足りない…」と言われる方もおられますが、「だからここ(自宅)におるしかない」と言われる。

ケアマネとして半年くらい勤務したら、

「病院にいる頃に、『自宅退院するためには何が必要か?』って考えていたのは、何だったんだろう…」

「『トイレの自立』でもなく、『主たる介護者の存在』でもなく、『高齢者本人とご家族の覚悟』だな」

と思うようになりました。

自宅に退院するか、施設入所するか、迷っておられた多くのご家族に、

「転んでも、ケガをしても、仮に家族のいない時に亡くなられていたとしても、『本人が選んだのだから仕方ないよ』と思えることができれば大丈夫ですよ」

と伝えることができていれば、少しはご家族の気持ちも変わっていたのかもしれない…。

今まで知らなかった世界を知ることで、これまでの力不足に申し訳なさも感じます…。

少し話がそれますが、

「病院で働くソーシャルワーカーは、たとえ1年でもケアマネとして勤務した経験がある人が良い」

と今では思ってます。

担当している利用者さんの退院時カンファレンスに参加したときに、

「介護保険を利用して、リハビリを続けたりご家族の負担を減らしていきましょう。具体的にはケアマネさんと相談してくださいね」

とMSWが家族に話しているのを聞くと、

「10年前の自分もこんな感じだったんだろうな…」

と思ってしまいます。

それと、MSWとして勤務していた頃から思ってましたが、『病院の常識って世間の非常識』ですよね😣

前回の記事で紹介した退院日の決め方だったり…。

私が「この利用者さんは一人暮らしですよ」って伝えているのに、「歩行は見守りでお願いします」って言われるPT、OTさんの多いこと😅

「だから、一人暮らしって言ってるじゃないですか!」

って何回か言いましたけどね🤨

ケアマネとして担当した利用者さんの中で、一番印象に残っているのはFさんです。

Fさんは80代の男性で、奥さんと2人暮らし。

出会った頃から認知症による自発性の低下があり、なかなか自分から何かを話したり、しようとしたりされない方でした。

それでも訪問した時に、TVの大相撲中継の話をすると、

「あ、朝青龍は…、嫌いよぉ…」

と言われたり☺️

奥さんも一緒に参加したサロンでおはぎ作りをすると、待ちきれなくてニコニコしながら手を伸ばしたり…😆

そんな生活の中、ある日、発熱し主治医の指示により入院されました。

誤嚥性肺炎という診断でしたが、それより驚いたのが嚥下(飲み込み)検査の結果を聞いた時です。

医師から、

「ご主人は今後、口から食べることは非常に危険です。また誤嚥性肺炎となる可能性が高いです。選択肢としては胃ろうがありますが、どうされますか?」

と説明されました。

当然、奥さんは私以上に驚いていました。

入院する前の日まで普通に奥さんの作ったご飯をたべていたのですから。

混乱する頭で娘さんとも相談しながら、奥さんが出した結論は

「胃ろうはせずに、自宅に退院する」

でした。

家族が覚悟を決めていれば、在宅での主治医、訪問看護師、ヘルパー、ケアマネの私たちは、残された時間を豊かにするために支援するのみです。

最期は自宅で看取られましたが、前日まで奥さんが作ったゼリーを口から食べておられたそうです。

すでに覚悟ができていたため、呼吸が止まったときも冷静に主治医に連絡ができた、と後日教えてくれました。

この奥さんは、ご主人が亡くなられてからもうちの地域包括支援センターが主催するサロンに参加してくださったり、関わりが続いてます☺️

「主人が良い縁を残してくれたわ」

と笑いながら話をされます☺️

このときのご家族の迷いについて書いたのがこちらの記事です↓

もちろん良い経験ばかりではなく、訪問した時に利用者さんが亡くなられていたり…ということもありました。

苦い経験では、まったく会話をしてくれなくなったGさんです。

前のケアマネが、Gさんの妻から苦情を受け、私に担当が変更になりました。

Gさんは当時60代前半。

脳血管疾患により、右片麻痺の後遺症がある方でしたが、しっかり会話により意思表示をされました。

妻からの要望は、

「訪問のときに、この人(Gさん)が社会復帰につながるような情報を持ってきてほしい」

ということでした。

定期訪問のたびに、私はGさんにいろんな話を聞かせてもらいました。

これまでの仕事のこと、もし病気になってなかったら老後はどうしたかったのか、日頃は何をされているのか、デイケアではリハビリ以外の時間は何をされているのか、などなど…。

この頃はGさんは、しっかり話してくださいました。

口数は少なく自分から話をされることはありませんが、私からの質問に答えるときに別の話題になったり…もありました。

ただ1つ気になっていたのは、私が妻からの要望である社会復帰のための情報を手渡す時の表情・態度でした。

私が手渡したものを見ようともせず、脇に置きます。

後から思えば、「見る価値もない」ということだったのでしょう。

ある日、Gさんから

「もう持ってこなくてもいい。どこに何がある、と言われても、この身体で行けるのかどうかもわからない。そこまで考えてないものならいらない」

と言われました。

その日以降の定期訪問で、ほとんど会話をした記憶がありません。

結局、担当ケアマネは交代になりました。

けれど、Gさんが会話してくれなくなったのは価値のない情報を持っていき続けたことなのだろうか?

それがずっと引っかかり、事例検討会で自分とGさんとの関わりを振り返ったり、Gさんとの面接場面をロールプレイで再現して考えてみたり…。

私の結論としては、Gさんは自分のことを考えてくれる人として認識できず、妻の要望を聞く人だ、と私のことを捉えたのではないだろうか?

というものです。

もちろんGさんに直接聞いたわけではありませんが…。

その時から、真面目に『面接技法』の勉強をしました。

カールロジャース氏の『クライエント中心療法』について、具体的な面談場面を紹介しながら説明された本です。

残念ながら絶版されてますので、アマゾンなどでしか手に入りません。

この本を読み、職場の勉強会でロールプレイをしたりするうちに、いかに自分がこれまで利用者の話を聞き流していたか気づき、愕然としました。

聞いているつもりでも、自分が関心のあるところしか聞いていない。

また、出た言葉にのみ反応し、「その言葉にはどんな感情が含まれているのか?」なんて考えもしませんでした…。

これまで関わってきたすべての方に、申し訳ありませんでした、と謝罪したいくらいでした。

社会福祉士は、相談援助の専門職ですと言ったところで、資格があるだけでは何もできない。

資格取得はスタートライン、資格を取ってからの自己研鑽が必要。

レシーブ緒方さんの言われるとおりです。

良いことも、つらかったことも含めて、ケアマネとして勤務していた頃は、MSW時代には経験できないことばかりでした。

そして、ある日、施設長から地域包括支援センターへの異動を命じられます…。

やはり今回も長くなってしまいました😅

結論から言うと、地域包括支援センターへ異動することで、再び社会福祉士として勤務することになります。

今回の「資格バトンシリーズ」は年内で終了ということなので、地域包括支援センターでの勤務や主任ケアマネについては、また別の機会に記事にできれば…と思ってます。

今年の3月から始めたnoteですが、多くの方に記事を読んでいただいたり、記事やコメントを通じたつながりができるとは思ってもいませんでした。

今やこのnoteが趣味を超えて、私にとって財産になっています。

記事を読んでいただいた方々、スキをいただいた方々、コメントをいただいた方々、本当にありがとうございました。

来年もよろしくお願いします☺️