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読書メモ 『サバイバー』チャック・パラニューク

『サバイバー』チャック・パラニューク (著), 池田 真紀子 (翻訳) 
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生まれ育ったカルト共同体がある日集団自殺で崩壊したら、生き残った男はどこかにたどり着けるだろうか。パラニュークによる極めて直球な物語。

別の方角から見ると、ずっと誤ったセルフケアをし続けた人の話としても読める。「目をつぶって適当にはさみを入れたみたいなヘアスタイル」という髪型は痛々しいほど雑で、着る服は無頓着。ケースワーカーの願望に沿うように異常行動を繰り返す。偽りの宗教的指導者になったあとはエージェントの指導でダイエットや整形、日焼けや投薬でスタイルを作り上げ、言われるままにカリスマ教祖を演じる。

彼は自宅に自殺相談ホットラインを設置して人々の最後の一押しを手伝うことを趣味にしていた。どういうことか? 自作のステッカーを印刷してあちこちに張り、電話をかけてきた相談者に対して片っ端から「死ぬといい」と宣告する、命を絶つことを促進する邪悪ボランティア活動だ。

彼が主体的に求めたことはほぼ3つしかない。いま挙げた邪悪な活動のほかに教祖としてスポットライトの下で大勢の人々から注目あびること、最後は、ファーティリティという名の女性と会うこと――ダンスを、ワルツやチャチャを踊ることだった。

”多産”という意味の名を持つ彼女とは霊廟の中で出会う。結局、彼にとって世界への扉を開く存在は女だったのだろうか。最近使われるようになった言葉に「毒親」というものがある。親子の関係にも、毒性が強く切り離すしかない場合(=和解不可能な関係)があることを二文字で証明した強い言葉だ。主人公の場合はカルト教団に生まれ、長男以外はハウスキーパーとして輸出される労働力だった。性的にも強いトラウマがあり号令一下で自殺して自らを救済するように教えられていて(私達から見れば)毒性の強い環境で育った。

彼自身の言葉では語られないが、彼が求めたのはファーティリティだった。そこに何を求めていたのだろう。彼の兄は、主人公がセックスすることで救われると信じていた。でも兄本人は救われて――解毒できていただろうか。そうではないことは明らかだ。

男が女によって救われるという物語は、親子は無条件の愛情で結ばれていて最後には赦し赦されるといった物語の類型なのではないだろうか。清浄な土地に脱出したらそこでまっさらな人間関係を作れるのでは、という希望から生まれた落とし穴の多い計画なのではないか。なぜなら再スタートを切れたとしても、毒が入り込む余地がある。毒を発しているのが自分自身だからだ。

余白の多い結末については触れないが、彼が破滅的な道に進まない道はひとつあった。スポットライトを浴びることでもなく、申し訳程度のセックスをすることでもなく、ハイジャックしてオーストラリアの大地を目指すことでもなく、彼女との毎週のダンスレッスンに留まることだ。

  「これはボックス・ステップというの」彼女は言う。
  「音楽をよく聴いて」 彼女がカウントする。
  「1、2、3」 音楽をカウントする。
  1、2、3。 僕らは何度も何度もカウントし、カウントするごとに足を踏み出すと、いつしか僕らは踊っている。納棺棚に供えられた花々がそろって壁から身を乗り出して僕らを見つめる。僕らの足の下で、大理石が凹凸をなくして平らになる。僕らは踊っている。ステンドグラス越しに光が射しこむ。壁龕の彫像が立体感を増す。スピーカーから小さく聞こえる音楽が石の壁や床に反響して漂い、流れ、音が、和音が、僕らを包む。そして僕らは踊っている。

『サバイバー』

誉むべきかな。神の子たちが踊る恩寵の瞬間。痛々しいほど雑に切られた髪の男がいつまでも彼の中にいる。彼を救い、彼自身を解毒するのは彼女そのものではなく和音に包まれ踊ることだった。

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ハヤカワのkindle本を読んでみようシリーズ第二弾。
第一弾
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書いてるうちに予想外に話が膨らんでいって、こんな形に。最後は村上春樹の『神の子どもたちはみな踊る』を思い出したが、さすがにそこまで踏み込むとまとめきれない気がしたのでさわりだけで。あと、このへんの伝道まわりの小ネタも面白かった。

 僕が受けた訓練の一つは、指先で誰かの両目を一瞬で強く突き、白い光が閃いたと視覚神経に錯覚させるテクニックだ。 「聖なる光」とエージェントは言う。 
 僕が受けた訓練の一つは、誰かの両耳に掌を強く押しつけ、神聖な音〝オーム〟だと言い張れるような低い音を聞かせるテクニックだ。

『サバイバー』


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