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さかさまのカバ

二〇一七年一月二十八日土曜日

晴れ

のんさんと公園。自転車に乗る四、五才の少年へ拍手を送り、落ち葉と戯れる。つまんだり、かさかさかさと撫でたり、両の手で掬い投げたり、その上を歩いたり。

キリカブ広場(といま命名)にて、いつもの二つならんだキリカブにちょこんと座る。そこから三つ寄り添っているキリカブのところまで両手をつなぎ歩く。年輪のまんなかにあながあいているキリカブ。そのあなからひょっこり一本の枝が顔を出していた。はじめはおそるおそる、ふれるかふれないかのところまで手をのばす。ちょこんと触れる。触る。握る。握れるようになると、枝をひょいと抜き、枝とキリカブで音を鳴らした。一本だった枝は二本になった。あなに枝をもどす。すぽっとおさまるとうれしそうに拍手した。おさまらないときは、両手にばちのように枝を持ち、音を鳴らした。どのくらいいたのだろう。三十分くらいいたかもしれない。わたしに両手を伸ばす。抱っこ、終わりの合図。あそびに付き合える日はきもちがいい。あたまのなかで会話していた、目的地を持たないというのはまさにだなと思う。


夜ごはんは、味噌と酒粕のお鍋二日目にうどんをいれて、冷奴、梅のちらし寿し。

帽さんが帰ってきてから、ちいさな晩酌の時間。批評とたたかいつづけると同士と街灯。ぴちぴちちゃぷちゃぷ手元の揺れ、跳ねるだれかの情報に雨宿りしているイトマはないのだなあ、と思う。

ふうっと、つくりたいもの。学びたいことがぽかりぽかりと。浮かんできていているなあ、そういえばと気がついて手帖に記す。活力の確認にルンルンする。あけたい箱がちゃんとあるんだなあ、と。まだまだこれはふえてゆきそうだなという予感もする。春の足音。公にするしないにかかわらず、ライフワークとして地道にかたちにしてゆこう。こういうときのハードが決まらないというところによくひっかかる。なにかを実現させるには、思いや閃きとともに環境が大切だということ。

依頼してもらったことを、やりきるために夜なべなべ。

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