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薄皮は剥かない派

二〇一七年一月十六日月曜日

晴れ

洗濯機をまわしたのは、正午十二時だった。寝坊をしたからではなくて、寒さのあまりいよいよ水道が凍った。十二時になるまで水が出なかったのでした。そんなきょうも、散歩へゆきました。

手を取りそこをたよりにしてつかまり歩きをして五メートルほどすすんだ。落ち葉のうえでもつかまり歩きをしていっしょに歩いた。これからははいはいで身体を鍛えるだけでなく歩く練習の散歩になってゆくのだな、と思った。これまで、散歩の目的はゆるやかに変化していっている。

おなかのなかにいたころは、のんさんが生まれやすくなるため。産むための身体づくり。産まれ二ヶ月くらいからは、のんさんが眠るための散歩だった。このころカンシャク持ちだったのんさんは、のめないよーと泣いてそのまま授乳も睡眠もうまくできないということが多々あった。抱っこをして公園を歩くと眠れることがわかって、二時間半くらい歩いていた。

のんさんの目が見えてきて、手を伸ばすようになってから木に触れたり、話しかけながらいっしょにたのしむ散歩へ変わった。(そうか。眠るためだけではなくなった。いっしょに散歩をたのしめるのか!)と気がついたとき、はっとしたなあ。

寝返りであちらこちら移動できるようになったころ、土や草などを手で味わうことを目的に時々はらっぱにごろんとさせた。はじめは下ろした場所から動かなかったけれど、すこしずつ移動していくようになった。土も草もまずは口にいれていた。

そうして、ずりばい・はいはい・つかまり立ちをするようになったころ、すぐに立たずはいはいをたくさんできるようにと広々したはらっぱにおろすようになった。徐々に、抱っこをして歩く時間よりものんさんのはいはいタイムのほうが長くなっている。

いよいよ、歩く練習だ。


夜ごはんは、焼き魚(アジの干物)、くるみ和え(ほうれん草、白菜、人参)、とろろ(煮詰まってしまったお味噌汁でのばした)、ぶた肉とやさいの炒めもの、じゃこと厚揚げとキャベツの炒めもの、きんぴらごぼう、ごはん。


ふと、のんさんが本を手渡してくれた。見田宗介さん、河合隼雄さん、谷川俊太郎さんによる鼎談『子どもと大人 ことば・からだ・心』だった。帽さんの本棚にあるもの、わたしはまだこれを読んだことがない。でも、この本とは思い出がある。あれは、もうのんさんはおなかにいて、けれど認識はまだのころ。帽さんの恩師へお届けものをする旅をした二〇一五年三月。帽さんは研究のことであたまがいっぱいだった。道中ずっとそのテーマの話をしていた。そのときちょうど読んでいたのがこの本だった。諏訪大社に立ち寄り、そのとなりに佇む喫茶店でお茶をしながら黙々読んでいた。細長い2階建ての建物で、二階はガラス張りだった。窓の向こうがどんな景色だったか忘れてしまったけれど、帽さんの頼んだ珈琲カップは藍色の焼きものでシンプルだったこと。わたしが頼んだのはたしかハーブティーでガラスのポットに花びらが浮かびそのいろは黄色っぽくて、どちらもがそれぞれらしいいろだね、なんて話した気がする。はて、わたしはなにをしていたんだろう。アトリエのこと、プログラム、二〇一五年度初回のこととか考えていたのかもしれない。すき間があればアトリエのことばかり考えていたなあ。考えていないときも考えていたというくらいに。

ひらいてみると、すすすいと読んでしまう。のんさんからのメッセージかもしれない、たまたまかもしれないこの本を読んでみましょ。

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