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おばあちゃんのピンヒール

二〇一七年一月二十一日土曜日

晴れ

あいこちゃんすーさんが公園にいるというので、起きぬけのんさんとおむすび持ってとび出した。二人だとどうしても午後出発になるので午前のうちにそとへ連れ出してもらえてありがたうれしい。

ドンドコからスタコラへ、すーさんは歩くのも走るのもスムーズになった。のんさんもあと数ヶ月のうちに公園を歩くのだろうな。

連れて行ってもらったじゃらんじゃらんというギャラリーカフェ。そこにいるひとたちが時間を奪われずに、じぶんたちの手足で得たもので編み、営んでいる、みずうみに浮かぶ舟というような場所だった。カレーのスープも、カレイの煮つけも、胡桃やほうれん草のキッシュも、お豆のはいった赤米も、オイシカッタ。のんさんもどれもぱくぱくよくたべた。

周りにだれがいようが脇目もふらずたべものだけを見つめてもくもくたべるすーさん。近くにいたおばさまが気になって、手を伸ばしたり、お皿をあげようとしたり、たべるに集中できないのんさん。たべかたもとても対照的な二人だな。

夜ごはんは、味噌鍋(白菜、大根、椎茸、豆腐、とり肉、うどん)、とりとカブととまとの炒めもの。

本屋さんにて、いま気になるのは衣服であるとわかる。荒木経緯さん特集の雑誌でも矢野顕子さん特集のユリイカでも暮しの手帖でもない。どちらかというとginzaなきもちである(女性版POPEYEがあればそれ)。なにかの反動なのか、バランスをとっているのか。原宿を暮らしの舞台としているひとたちをいいなあと思うきもちが、ちいさくふつふつしている。なんでだろうなあとさぐりたくてこの雑誌を買うか迷っている迷っている。

たとえば掃除の仕方は、雑巾で床を拭く。コンビニはなにかの支払いのときぐらいしか使わない。無農薬のやさいをたべ、それはなんだろうとうカタカナのものがはいっていない調味料をつかう。どうしても素材が安っぽい衣服を買おうと思えない。

原宿というまちのある部分は、わたしの生活ととてもはなれている。けれど、なにかひっかかるところがある。はなれていないところがあるのだと思う。

生きるなかでの文化・表現という部分を補充したいのかもしれない。原宿を訪れた日にやり尽くさなかったなあ、わたしとうっすら気がついてしまった。あのまちでいまを味わい尽くそうと必死な若者への憧れ・羨望もあるような気がする。どう消化して、どう表すができるかしら。

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