見出し画像

風とナンパ

二〇一七年一月十七日火曜日

晴れ

ああ、ほんとうにいい公園だなあと思う。十三時ころやって来て、見渡す限りだあれもいない。空を見上げるとそのままひっくり返りそうなほどに遮るものはない。これが定食屋さんなら困っちゃうだろうけれど、美味しくないところかもしれないけれど。余白のある、ひと気のまばらなここはいいところだ。

きのうとはうって変わってぽかぽかしている。太陽を雲が隠すとグレーのカーテンがかかる。あまりに景色が変わるからつい空を見上げてしまった。


三才くらいのおんなのこがお母さんに訊ねていた。

娘「これ何の音?」
母「木を切っているんだよ。きれいにしている音。」

もしのんさんに、これ何の音?と聞かれたらわたしは「木が泣いているね」って言ってしまうかもしれない。


たたく鳴らすの話
あるときのんさんが、硝子の、化粧水が入っていた瓶をテーブルに打ちつけていた。それをみて帽さんは「アブナイでしょ。」と止めさせようとした。わたしは「むずかしいねえ。」ってぽつり呟いていた。
のんさんは音が出るぞとたしかめるように繰り返し、できたよと目配せしている。帽さんの言うことはそうなのだ。異論はない。けれども、鉄琴をたたき鳴らしたらほめられるのに、どうして今回は怒られるのか、のんさんからしたらどうにもこうにも訳がわからないだろうなあと思ってしまった。楽器と楽器ではないという線引き、割れるものと割れないものの線引き。言分け身分け。混沌を分けて整えつかんでゆくのだけれど、ただただ線を引くとたとえばピアノは楽器、空き瓶はゴミとなってしまう。空き瓶にある楽器の可能性を見落としやすくしかねない。こんなふうにして曖昧なままにしがちなのだけれど、ほんとうむずかしいなあって思う。

夜ごはんは、くるみ和え、きんぴらごぼう、カレーライス (生姜、椎茸、カブの葉、白菜、大根、じゃがいも、玉ねぎ、ごぼう、人参、ひき肉)。

しゃぼん玉をふいていたら三、四才の男の子三人組が駆けてきた。ふーっとふくと追いかけてケラケラわらう。風があちらこちらへしゃぼん玉をつれて、彼らをあやす。のんさんもたのしそうな彼らの雰囲気を受けとってじたばた、しゃがんだり立ち上がったり。しゃぼん玉ひとつそこにいるだけで、こどもがやって来る。これはわたしのできることをかたちにするときのヒントだな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?