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Z級の日々:断崖の警戒心

今年の1月くらいだっただろうか。母親から「親戚への挨拶」に誘われた。それにしてもうだつの上がらない日々を漫然と過ごしているのに、いつのことなのかもう分からない。もしかしたら去年の秋だったかも知れない。嫌な記憶だからか無意識に忘れようとしていたのだろうか。

話を戻すと、祖父母にひさしぶりに会ってみないかと打診をされたのだ。
父方の祖父母はもうすでに亡くなっており、自分にとっての「おじいちゃんとおばあちゃん」はもう一人ずつしかいない。学生の時は、実家と学校の便利な中継地点ということもあってしばしば宿にさせてもらったが、働き始めてからは会う機会がめっきり減っていた。数年前に祖母を亡くした時、自分が認識されなくなっていく恐怖で敬遠したことをあれほど後悔したにもかかわらずだ。「孫」としての偽善的な自分の醜さが実感させられて反吐が出る。


そういう訳で、その場で「行く」と決断しようとしたら、待ったと少し視線で制されたので、先を促す。すると、「行く場合は自分がうつ病で休職の身だと伝える」ことを条件として提示され、更に現在の祖父の様子を説明された。男性更年期なのか何なのか、どうやらここ1年の祖父の言動が今まで以上に偏屈らしい。元来が昭和カタギで偏屈なワガママ爺さんだったが、今までの比ではない性格の変わり様。亡くなった父方の祖母を「女手一つで子ども二人(自分にとっての父親と叔母)を育てて偉い」「○○さんの家は頑張っている」など、実情も知らないのにあれこれ言うのだとか。
因みに亡くなった祖母は、若くしてその夫を亡くし視覚障害も患っていたので働くことはほぼ不可能で、その息子(自分の父親)が幼くして家族3人の命を背負っていた。今でいう「ヤングケアラー」だが、そんな生っちょろい綺麗な言葉で括るのは如何かと思う。
さすがの母親も、実の父親とはいえ「亡くなった祖母偉い」発言に静かに怒りを示しているようだ。娘婿の苦労もそれに激怒する娘の気も知らずに、根拠もなく人を評価し続ける祖父に対して、今の自分の精神状態でマトモに会話が出来るかと母親から心配をされた。

果たして暴論を吐く祖父に対して平静でいられるだろうか。しかし決断した手前、自分の中で何となく引き下がるわけにもいかず、「会う」と母親に伝えた。母親の顔は見ていないが、多分安心したのだろうかホッとしたような明るい返事があった記憶がある。

しかし、その日の午後は服用している抗不安薬の効果も虚しく恐怖に支配された。それなりに有名な会社に入って営業としてそれなりの給料をもらう「それなりに充足」していた孫が、一転うつ病という「甘えた」病気にかかって半ニート状態になっている。そんな孫を目の前にして、祖父はどんな無神経な言葉を投げてくるのだろうか。自分はどんな風に傷付けられるのだろうか。初めて祖父を怖いと思った。動悸と過呼吸でいよいよ不味い状態になり、泣きながら母親に「やっぱり祖父には会えない、怖い」と白状した。「お母さんもごめんね、余計なこと考えさせちゃった」と優しく宥められて余計に惨めになるが、これ以上母親を傷つけたくはなかったので落ち着いたフリをして自室に戻った。

いくら性格が変わったからといえど、自分は祖父、つまり母の父親を信じることができなかった。身内であるかは関係なく、自分を傷つける可能性が高い他者だと認定した。加害者になり得る自分以外の全ての人への警戒。体調が少し良くなって人とのコミュニケーションが増えてきた当時の1番の精神的な問題だった気がする。自分の現状を説明すること自体が自傷行為に近いのに、身を削って説明した上で否定されてしまったら…と考えると、他人と関わるのが嫌になった。


それから約半年が過ぎたと思われるが、他人とのコミュニケーションには比較的積極的に取り組めるようになった。他人への警戒心がなくなった訳ではない。心の筋肉が鍛えられて傷つくことが減ったのかもしれない。しかし、まだ祖父への恐怖心だけは拭えておらず会えていない。こうして自分が避けている間にも、祖父は益々偏屈で頑固になっているらしい。祖父に会う日は来るのだろうか。

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