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遜色ない走り

こんにちは!ほおずきです。

ふと過去の出来事を思い出して、誰かに話したくなることってありませんか? そんな出来事について、noteでお話していこうと思います。今回は、高校時代の体育祭について。

理系クラスの憂鬱

まず前提として、高校時代の私は到底活発とはいえない女子でした。運動は大の苦手で、50m走のタイムは10秒以上、1km走れば死にそうになるレベル。体育の授業は憂鬱で、体育祭なんてこの世の憂鬱を集めて煮詰めたような行事だと思っていました。

さて、そんな私が通っていた高校は元男子校の共学校で、女子の比率が少なめ。特に理系クラスとなると、35人くらいのクラスに女子は6~7人しかいません。

女子が少なくても普段は困らないのですが、体育祭の出場種目決めのときは別でした。女子が少ないせいで、私を含めたクラスの女子はほぼ全ての女子種目に出なければいけないからです。女子が多い文系クラスなら、補欠で済んだのに……。

女子リレー

特にしんどかったのが女子リレーです。なぜなら、リレーにはアンカーが必要だから。

アンカーといえば、体育祭で最も目立つであろうポジションです。足が速ければ華々しくゴールへ向かう姿を見せびらかせる絶好のチャンスになりますが、そうでなければ鈍くさく走る姿をさらす罰ゲームにしかなりません。

私のクラスには脚力も自己肯定感も控えめな女子が多かったので、当然誰もアンカーをやりたがりませんでした。

するとどうなるかというと、ジャンケンです。ジャンケンで負けた人がアンカーをやることになり、私は見事敗北。6~7人に1人しかアンカーにならないはずなのに、どうしてこんなときだけ特別な役目を引き当ててしまうのか、自分の運を呪いました。

体育祭当日

私がアンカーをやることになってから体育祭までの間、何度「体育祭なんて雨で中止になれ!」と願ったでしょうか。その願いは届かず、本番の天気は晴れ。私のテンション以外は絶好の体育祭日和でした。

重い気分のまま体育祭の種目をこなし、いよいよリレーの時間。憂鬱な気持ちと緊張感がMAXの状態で受け取ったバトンは、やたら重く感じました。

しかし、ここまできたらやり切るしかありません。私は、私なりに本気で走りました。

もちろん、50m走るのに10秒以上かかる女なので、他のクラスのエースからはどんどん引き離されます。先頭集団との距離が開けば開くほど、ビリの私に視線が集まる気がしました。私の顔は、全力疾走による体温上昇と恥ずかしさで真っ赤になっていたと思います。

そしてそのままビリでゴール。鈍くさい姿をさらしただけなのに、クラスメイトが「頑張ったね!」「お疲れさま!」とねぎらってくれたのがなんだか申し訳なかったのを覚えています。

体育祭終了後

そんなこんなで、憂鬱な体育祭が終わりました。体育祭が終わってからも部活の後輩から「先輩、アンカーでしたね(笑)」と笑い者にされて恥ずかしい思いをしていたのですが、ここで救世主が現れます。

それは生物教師だったF先生。体育祭後、死んだ顔をしている私を見るなり「おぅ、遜色なかったぞ」と言ってくれたのです。これほど“ちょうどいい”言葉があるでしょうか。

「すごかったよ」などと褒められると、無理して褒めてくれているのが分かるから心苦しい。かといって「遅かったね(笑)」なんて言われても傷つく。そのどちらでもないちょうどいい塩梅の言葉が「遜色ない」なのです。私はF先生の言葉で、一気に救われたような気持ちになりました。

魔法の言葉「遜色ない」

F先生から「遜色なかったぞ」という言葉をもらって以来、私は物事をスマートにこなせず落ち込みそうになったとき、自分に「でも、遜色なかったよね」と言い聞かせるようにしています。

そうすると、少し気持ちが楽になるのと、「『遜色ない』って変な褒め言葉だな」と当時を思い出してクスッとできるので(F先生が褒め言葉のつもりで言ってくれたのかは分かりませんが)。

この記事を読んで、私と同じく「遜色ない」という言葉に救われる人が1人でもいればうれしいです。

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