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【BOOK】強烈な相対化の先に希望はあるか?『人新生の「資本論」』

 僕らの固定観念=バイアスをぶっ壊すという意味で、とても強烈な力を持つ本です。

 冒頭から、「SDGs(持続可能な開発目標)」は「アリバイ作り」であり、苦悩を和らげる「大衆のアヘン」だと。

 この本は、ロックだね。パンクだね。

 「成長は善なのか?」

 「価値と使用価値の違いは?」

 いろんな「問い」を投げつけてくる乱暴な本でもあります。でも投げられたら返さないとキャッチボールにならない。こちらは考えざるを得ない。

 「脱炭素や気候変動。今のシステムをこねくりまわすだけでは克服は無理!資本主義をやめろ!」

 ベルリンの壁があったことを覚えている僕の世代だと、「赤」とか「左」とか連想してしまうが、著者の斎藤幸平さんは34才。そんなバイアスもなく、イデオロギー臭はしない。

 そんな若手論客は自称マルクス経済学者。マルクスが晩年に唱えて、後世に伝わっていない「脱成長コミュニズム」が新しい時代のキーになると。

 そして、斎藤さんが提唱する相互扶助と自治をに基づいた「脱成長コミュニズム」は、教育や医療・介護などの人の役に立つ(使用価値を提供する)エッセンシャルワーク(=本質的な仕事)だけが抽出されており、(架空の価値を生む)ブルシットジョブ(=くそくだらない仕事)はない。エッセンシャルワークについていれば、その仕事自体に喜びを見いだす生き方ができるはずだ、と。

 では「脱成長コミュニズム」はどのように実現できるのか?

 その例として、バルセロナの事例が紹介されている。

 コモン=人間にとってなくてはならないもの(水道・電気・土地など)を市が管理し、観光客ではなく市民の幸福を追求した市政は確かに注目すべきケースだ。

 理想は、なんとなくわかった。

 私の仕事(広告会社)も斎藤さんに言わせれば使用価値のない「ブルシットジョブ」のど真ん中だ。それも、否定しない。

 でも、なぜかこの本にしっくりこない。

 『人新生の資本論』を読んでの違和感は、人間が本来持つ欲望とか、他とは違う人間でいたいという希少性とか、その現実を無視しているから。

 そして、理想への道筋が精神論や掛け声を基盤にしている。

 著者は3.5%の人が変われば全体が変わっていくという数値目標を掲げる。でも、そこまでの手法論が弱い。弱いというか、この部分だけ急に「赤」とか「左」を連想させる旧来の手法が飛び出してくる。

 GAFAを社会が所有しろ、とか。抗議行動をSNSで拡散させて選挙に勝て、とか。個人は農業やれ、学校ストライキやれ、環境NGOや組合に入れとか。

 いまさらだし、人間はそんなに単純ではないよね。

 とはいえ、この本が投げかけてくれた「問い」は大事に持っておきたい。成長は善なのか?そもそも成長が止まってしまった日本にいて、考えることはなにか。

 僕個人としては、ブルシットジョブに基盤を置きつつも、新潟に移住することで、農業と介護にかかわる。いわゆるエッセンシャルワークだ。

 そこで、人間の自分らしくありたいという欲望を満たしながら、本質的な仕事(エッセンシャルワーク)の価値を上げる方法を考えてみたい。

いずれにせよ、
どんな社会が素敵か。どんな生き方が人間らしいのか。
これまでの「社会は成長しなければならない」というバイアスを相対化してくれたという意味で、この本には価値がある。


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