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引っ越しの度に読み返す、過去の日記のこと

こんにちは、ぼぼこです。

最近は夫の転職が決まって、新しい家探しをしたり、コロナワクチン3回目を打って副作用で死にかけたりなど、めずらしく忙しい日々を送っていました。

無事に新しく住む家も見つかり、今は引っ越しの準備をしています。


引っ越しは人生で4回目ですが、片付けが下手な私は毎回引っ越しの準備に時間がかかってしまいます。

引っ越しの時って、昔読んだマンガを再度見返してしまったり、昔のアルバムとか見て「ああ〜自分年取ったな」とか懐かしいような悲しいような気持ちになってしまったりして、気づいたら引っ越しの準備が全然進んでないってことありますよね。

私の場合、もう一つ絶対やってしまうことがあります。
それは、引っ越しのたびに過去に日記を発見して、読み返してしまうことです。

私は昔から手帳に日記をつけていました。日記と言っても毎日書いていたわけではなくて、気が向いた時に適当にその日あったことを書いていたり、自分にとって大切なことがあった日や、悲しいことや嬉しいことがあった日などに書いていることが多かったです。

小学生・中学生・高校生・大学生、それぞれの時代ごとに一冊ずつ、計4冊の日記帳があります。だけど4冊とも、熱心に書いているのは途中までで、どれも半分以上白紙のページがありました。

そうです、私は生粋の飽き性なんです。途中まで熱心に日記をつけていたかと思えば、半年以上期間が空き始め、結局日記を書くのをやめてしまいます。

日記の存在すら忘れて学校を卒業し、また新たな学校に入学するタイミングでまた日記を書きたい欲が湧き始め、新しい手帳を買って心機一転、これからは毎日日記を付けていこう!!と意気込んだのも束の間、また手帳の半分ほどのところで白紙の日々が続き、そしてまた日記の存在すら忘れる・・・というループを4回も続けてきたのです。
半分以上白紙の手帳が不憫でなりません。


そんないつの時代も中途半端な自分の日記を、引っ越しのたびに本棚から発見し、読み返しています。

社会人になってから、2年に一度くらいのペースで引っ越しをしていて、その度に過去の日記を読んでいるのに、内容は全然覚えていなくて、読み返すたびにすごく懐かしい気持ちになっていました。
そしてその度に「この日記は思い出として捨てずに保管しておこう」って段ボールに詰めて、また新しい家の本棚に並べて、次の引っ越しの時まで見返すことなく保管し続けてきました。


今回の引っ越しも、本棚を片付けていると4冊の過去の日記を発見し、いつものように読み返していたのですが、

今回はいつもと違いました。

過去の日記を読んで、「この日記、もう捨ててもいいかもしれない」と思ったんです。


何で急にそう思ったのか、自分でもよくわからないのですが、

ひとつはっきりと思ったことは、私がもし突然死んだとき、遺品整理されてこの日記を見られることを考えたら死ぬほど恥ずかしいという、単純で超今更なことでした。

誰に見せるわけでもなく、その時の自分の感情をとても正直に細かく書いてきたこの日記を家族に見られるなんて、想像しただけで恥ずかしすぎて失神するレベルです。

という訳で、私は今まで大切に保管してきた日記を全て燃えるゴミに出して捨てました。


まったく後悔してなくて、むしろ気持ちがスッキリしているのは、日記を生きているうちにしっかり処分できた安心感と、

今の私が思い出というものにあまり固執しなくなったからかなと思います。



学生時代に感じた大切な考え方や感情は、日記として残さなくても、きっと私の身体の一部になっていると信じたいです。


というわけで、残りの引っ越しの準備を頑張ります。