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空港での出来事

以前

危機一髪というタイトルでスマトラ沖地震のことを書きました。

続きです。

あれからパニック状態になった街で、

ホテルの人がまた津波が来るから、とにかく山に上がれと

言われ バスに押し込まれて山のてっぺんまで

連れていかれ、

日がな一日 ず〜と草むらで体育座りして

物売りの象に乗った青年の商人魂を見ていた。

今晩は系列のホテルに泊まれるが

明日からは部屋が無い。

どうしたらよいのだろうか?と思っていると

日本人が声をかけてくれて、タイ語でホテルの予約を

手配してくれた。

まさに地獄で仏に会ったような気持ちだった。

被害の無かったプーケットタウンの場末のバーで、

初めてテレビを観た、そこに映し出されたものは、日本の自衛隊が

プーケットに赴く場面だった。

私達は高揚感と共に安堵感に包まれた。

帰国になり、プーケット島からバンコクまでの機内は、

異様なまでの静けさで、血が滲む包帯の人々が悲惨さを物語っていた。

バンコク国際空港に着くと、

誰彼構わず、アメリカ人か?って

尋ねているアメリカ大使館の職員の姿があった。

各国の大使館がブースがあって、

安否の確認と救援物資の配布をしていると教えてくれた。

日本大使館はどこですか?って尋ねたら

申し訳なさそうに日本は見かけないよ!

来てないよ!中国と日本は来ていない!

えええええええっ そんなことってあるの?

昨夜 テレビで観た気持ちを返して。

外交は熱心ね。

どこの国か忘れたけど

チャーター便で自国民を迎えに来てたよ。

バカンスで来ていた奴は自己責任でってことですね。

はい 判りました。

JALで帰ります。

JALの客室乗務員の方に祖母は車椅子に乗せてもらい、

成田に着いても気遣いで

一番最後に降ろしてもらいました。

何故か?

マスコミがタイからの帰国便に

悲惨な姿が撮りたくて

大挙して押し寄せていて 車椅子なんて格好の餌食。

可哀想だからっていう計らいでした。

この時に経験して感じたことが

表に出てきましたよね。


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