悪ガキの思い出

 白饅頭さんの今日のマガジン記事を読んでいて、小学生時代の同級生について思い出したことがあったので、思い出を綴る記事を書いていこうと思う。

 私が小学生だった頃、同級生にKという男子がいた。このKは2人おり、この記事では1人を野球部のK、もう1人を双子のKと呼ぶ。
 野球部のKも双子のKも、普段から暴力的な問題児であり、彼らを含む運動部系の男子は、私の代の問題児集団の代名詞だった。

 具体的な悪行を2つほど挙げよう。
・授業中(特に音楽などの芸術分野)に部屋を抜け出す。
・私にハサミを向けて、髪を切ろうとする(未遂で終わったので切られてはいない)

 この2つだけでも、彼らがとんでもない奴であることは一目瞭然だろう。特に、下のエピソードなどアルファ育児漫画アカウントなどがTwitterで訴え出れば万バズも夢ではなさそうなエピソードであり、実際私は当時は本当に恨み骨髄に徹したものである。今でも彼らの悪行はとんでもない行為であるいう考えは変える気はないが、しかし彼らを恨む気持ちはもう殆ど消えてしまった

 なぜか? それはきっと、私が双子のKと同じく地域のサッカークラブに所属していたからだろう。双子のKのサッカーに関する情熱は本物で、イナズマイレブンも現実の選手も大好きなサッカー小僧であり、何よりクラブのコーチや監督の言う事には素直に従って練習・試合に打ち込んでいた。
 少し話は逸れるが、私が所属していたサッカークラブは厳しい監督がいた。ヘマをしようなら怒鳴られるのは当たり前だったが、体罰などはしない人だった。そして、何かを成功させたときはド下手糞の私でもしっかりと褒めてくれる、メリハリの利いた人でもあった。また、上級生もゴツく、暴力的な人も多く、双子のKもそういうよくある運動部のノリの兄弟である。
 双子のKがそんな感じだったので、同じく地域の野球クラブに所属していた野球部のKの方がそんな感じだっただろうことも想像に難くない。チームのユニフォームを着ているときの顔は明らかに音楽の授業を受けているときの顔ではなかったことなどを、書きながら思い出したぐらいだ。

 けっして「善い人」でなかったが、才能や作品がすぐれていたことだけをもって評価されていた時代に成功を得た人

マガジン限定記事「大谷翔平のただしさと息苦しさ」
https://note.com/terrakei07/n/na4181dacf5c5

 白饅頭氏の言葉を借りるならば、この言葉がちょうど当てはまる。前述の問題行動のため、男女問わず委員長・文化部タイプの子には人気が無かったが、運動部所属の女子には少なくとも嫌われはしていなかった。足が速い=モテる年齢であることを考えると自然なことだろう。

 私はチンピラ・暴力陽キャ的であったがスポーツには真摯であった「アウトロー」のような彼らに、少なくとも友情のような何かを持っていたのだ
こういうことを書くとそういうノリが嫌いそうなツイッタラー文化系の皆さんからは、「いや、イジられていただけだ」とか、「受けたいじめを好意的に解釈しようとしている」と取られるかもしれないが、少なくとも私は決定的に彼らと仲違いすることもなく、前述のマジの暴力行為も高学年になってからは「無くなった」と言っていいぐらいには、そこそこ良い関係を築けていた、という自負がある。もっとも、中学年の頃から女子から相当なエンガチョ野郎として扱われていたので、彼らの悪ノリなどどうとでも仲良くできる範疇だったという事情もあるのだが。

 野球部のKも双子のKも中学に上がってからも小学生の時と同じスポーツ部に入って、同地域の別の小学校だったメンツと絡みながらそれなりに活躍していたらしい(私はあいにく文化系の部活に入ったので詳しいことは分からなくなってしまった)。
 そして、私は一旦人間関係をリセットしようと少し離れた高校に進学したので、彼らについてはもう完全に情報が入ってこなくなった。

 時は流れて成人式、双子のKを含めたサッカークラブの同級生と再会することができた。特に双子のKは派手に着飾っており、紋付袴を着ていたもう1人のクラブの同級生と同じく、特に目立った奴らであったことは間違いなかっただろう。それでも彼らは小学校の時の様に、私に悪ノリじみたやり取りをしてくれた。
 野球部のKは出席していなかったのか私が見つけられなかっただけなのか、成人式では姿を見ることは叶わなかった。同級生の中では特に素行が悪かったので、後者の理由であることを祈りたいのだが。

 彼らは、決して社会的に見て「善い人」ではないことは間違いなかった。むしろ、今の世ならいじめの加害者として扱われるだろう。

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 私が所属していた代のサッカークラブは、有名でもなんでもないクラブとしてはそこそこ良い成績を残す常連だった。私の下の下の代あたりから大幅に弱体化して大会で1勝すらできないことがザラであり、更には私が所属していた代の時代からの保護者がいなくなった頃に新しい保護者達からの相談で事実上追放されたと、保護者の繋がりが残っていた母から数年前に聞いたことがある。「お行儀」の良いクラブに変わったのだそうだ。監督が変わってからは私は一度もそのクラブの風評を聞かないので、今も勝てないチームであるのかは分からない。しかし、きっと私がいた頃の上級生のようなメンバーは二度と所属しないのだろうなという霊感がある。

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 「悪ガキ」を包摂し、実力を発揮させてくれるクラブは無くなってしまった。「怒るときは罵声を飛ばすほど厳しいが褒めるときはしっかり褒めてくれるスポーツクラブの監督」もクラブからはいなくなった。

「相手が傷つくような言い方でしか指導できないのは教育者失格だ!」といった言説にSNSでは毎回飽きることなくおびただしい数の称賛や共感が集まるが、しかしながら「だれも傷つかない指導」を起用に実践してくれるような人はそれほど現れなかった。よい面とわるい面が重なり合っている事象について、よい面だけを都合よく温存して残すことはできない。

白饅頭日誌:6月28日「叱り方がもうわからない」
https://note.com/terrakei07/n/n3fffdb1ff129
※原文ママ

 悪ガキのK達は今何をしているのだろうか。大学に行ったのか、それとも高卒で就職したのだろうか。願うならば女の子遊びをしたり、バイトでお金を稼いだり、ちょっと危険な仲間内だけの悪ノリをしていて欲しい。監督と同じような上司の下で、バリバリ働いていてほしい。「ただしさ」に押しつぶされずに生きていてほしい。

 私が今の彼らについて何も知らないことが、とてももどかしい。

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