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遠くへ行けなくてもいい日 2024.04.19

朝5時起床。深夜のひどい二日酔いの頭痛はなんとか治った。身体はだるいが出勤するしかない。コンビニでトマトジュースを買って、せめてもの栄養を取る。最近、トマトジュースのことを信頼している。飲んでいたら何とかなるような気がしてくる。

ぼーっとした頭でカネコアヤノの新曲を聴いていた。リリースされてからずっとこればかりを繰り返し繰り返し聴いているのだが、二日酔いの頭で朝の空気を吸いながら聴いていたら突然歌詞の中身がぐっと身体に染み込む感覚があった。
「さびしくない」は本当にさびしくないのか、ということは聴きながら考えている。さびしさを乗り越えたようにも受け取ることもできるし、「さびしくない」と繰り返し歌うのは逆説的なさびしさのようなものも感じられる。
少なくとも「遠くに行きたい」と思うようなさびしさを「最近は」感じなくなった、という歌なんだろうなとは思う。かといって、すべてのさびしさから解放されたのかと言われると、そうではないのかもしれない。
僕は常日頃からさびしくなると遠くに行きたくなる。だけど遠くに行くことはできず、さびしさだけが蓄積されていく。遠くに行ったからといって、さびしくなくなるかと言われると、そうではないとも思う。でも漠然と「遠くに行きたいなあ」と思う。「さびしい」と口にすると本当にさびしくなってしまうから、遠くに行きたいと思っているのかもしれない。
だからこそそういう感情を最近は感じなくなったんだという「さびしくない」という歌はなんというか、ありがたいなと思う。
さびしいな。遠くに行きたいと思わなくなる時がいつかきてくれるのかな。

仕事でクタクタになって帰って、適当に牛丼を買って帰って、かき込んで、酒を飲んで寝る。

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