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笑い上戸

私は子供の頃からよく笑う子で、小学校の通信簿などには「笑い上戸」や「ひょうきん」などと先生に書いてもらっていた。
よく笑うのはとても良いことだと自分でも思うが、笑ってはいけないような状況で可笑しくなってしまうことが多いので、社会的にまあまあ問題なのだ。

小学校〜中学校の時は、本当に不謹慎だが、避難訓練でみんなで一斉にぞろぞろと校舎から校庭へ出ていく過程が個人的にツボで、いつもニヤニヤしてしまっていた。これは当時の先生も友達も「嘘つけ」と思うに決まっているが、私は根が真面目な性格なので、子供ながらにも「笑ってはいけない、真面目に参加しなくては、いつ災害が起きるか分からないのだから」と本当に思っていたし、本当にこれっぽっちもふざけるつもりなんてないのだ。ただ、一瞬でも「防災訓練に参加している私」からドローンみたいに自意識がブーーンと抜けていって客観的視点が強まった時に「状況をあまり把握していない子供がちょろちょろ群れになっている感じ」や「この訓練の仕方は合っているのだろうか」などと余計なことを考え始めると諸々可笑しく感じてしまう。
運動会や何かしらの見せ物の時も可笑しいポイントが多すぎて、私はいつも一人で「笑ってはいけない」の葛藤をしていた。先生方が忙しい中考え出したフォーメーションや振り付けを馬鹿にするようなことは非常に失礼なことなので、ここにてこっそりと心の声を文字にするが、謎な動きが本当に多い。小石だらけの地面に拷問みたいに膝立ちさせられて、その拷問ポーズからよく分からない「ヤーー!」という発声や、怪しい宗教団体のような輪っかを頭に巻いてクセの強いコントみたいにぐるぐる回り出す集団行動など、私を笑わせようとしているのか、と思ってしまうこともあった。ただ笑い上戸というだけで、目立つほどふざけていないのにお調子者の男子生徒と同じくらい大人に怒られていた気がする。
笑ってしまう状況を挙げるとキリがないが、ある先生の怒り方が変だな、と思ってしまったり、卒業式や入学式の時の入退場のなんとも言えない気まずい静けさなど、私はよく笑いそうになってしまっていた。度々母親から「あんたまたニヤニヤしてたね」と言われていた。

そんな母親と学生時代にクラシックバレエを観に行ったことがある。母親がバレエや演劇鑑賞が好きで、私はただ誘われたのでついていった程度のぬるい熱量だったが、前から2番目というものすごい至近距離の席での鑑賞になった。他の熱い思いの観客の方に不快な思いをさせないように、私も真面目に舞台の世界観に集中した。
そんな中、ピエロ役の方が鈴の音をリンリン鳴らしながら、左の舞台袖から面白い動きで右の舞台袖へと通過していった。

私は、一度、目をぎゅっとつぶって、深呼吸をした。「落ち着けー。何も可笑しくないのだから。」と心の中で自分の背中を軽く叩いてから、また舞台に集中した。照明が暗くなって、夜のような場面になったとき、また出てきた。今度は右側から、また面白い動きでリンリン鈴の音を鳴らしながらピエロが左側へと通過していった。私はだんだん汗をかいてきた。前から2番目の席で笑うなんてことをしてしまったらもう出禁かもしれない。一回、目を長めに閉じて、あのピエロのことを忘れようとした(この時点で世界観に入れていない)。

照明が明るくなったようなので目を開けると、あのピエロが変な動きで舞台の真ん中あたりをリンリンしながらうろうろしていた。もちろん素敵なバレリーナの方が華麗に踊っている光景も目に入ってきてはいるが、もう私の頭の中はピエロで埋まってしまった。
とうとう笑いが堪えられなくなって、下を向いて肩を震わせてしまった。もしかしたら感極まって号泣しているようにも見えたかもしれないが(いや、無いね)。
隣に座っていた母親に私が肩を揺らして笑っていることに気づいて、私の太ももをつねってきた。そんな痛みで収まるほど私の笑いのツボを甘く見るな、と思いながら、ピエロが舞台から捌けるまで私は下を向いていた。

はぁー、苦しかった…。というのが舞台が終わって最初の感想だった。
つまり、私は、美徳に欠ける失礼な笑い上戸に育ってしまったというわけだ。
今後、この私の笑いのツボのせいで誰かを不快にさせたり傷つけたりしてしまわないように気をつけて生きていかなければ、と思う。

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