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読書日記(7)

ゲイドルのぽたろうです。
特技はさぼり癖です。茹だるような暑さのせいで、クーラーを付けっ放しの部屋に1日中いると、感度が鈍ってしまって、どこまでも自堕落になってしまう。そんなこと承知のうえで、あっという間に土日が終わる繰り返し。

気づいたら放置、というのは毎度のことすぎて芸がない。
すぐに物事を忘れるので、直近に読んだ本を振り返ってみます。

鵜飼哲夫「芥川賞の謎を解く 全選評完全読破」(文春新書)

芥川賞80年、知られざる選考会の裏側。
全選評を読破した文芸記者が、その舞台裏、謎に包まれた選考会に迫る!

気づいたら購入して、次に気づいたときには読み終わっていた。
かなり昔のことのように思える。文学賞においても芥川賞は毎回話題になるわけだが、その舞台裏である選考会にスポットをあてて、選評や資料をもとに芥川賞の歴史を紐解いていく。解説書として作家の一面に触れる書として純粋に楽しめました。

村上春樹「風の歌を聴け」(講談社文庫)

夏休みに海辺の街に帰省した〈僕〉は、友人の〈鼠〉とビールを飲み、介抱した女の子と親しくなって、退屈な時を送る。二人それぞれの愛の屈托をさりげなく受けとめてやるうちに〈僕〉の夏はものうく、ほろ苦く過ぎ去っていく。青春の一片を乾いた軽快なタッチでとらえた出色のデビュー作。

今更だが初めて村上春樹作品を読んだ。少し前にサリンジャーを読んでいて、あの文体というか、翻訳調のそれはかなり新しいものだったのではないかい。世界文学に近いと呼ばれるのは、その語り口ゆえなのか。
冒頭の文章にはしてやられたが、その後の意味ありげな文章やアフォリズムにすんなりと乗りこめないまま最後まで読んだように思う。ただ、そこまでタイプではないはずなのに、気になっているわけでもないのに、睡眠前の晩酌がわりに読み続けてしまうような引力は何なのか掴めずにおわった。
類型的に思えるほど、後続に影響を与えたということだろうし、凄いです。たまたま会社で断捨離をしてたら、上司が別の方に貸してた「ノルウェイの森」が返ってきたらしく、風の歌を聴けの話になって、そしたら次は羊はどうだろうか、と言われた。またの機会にとっておこうと思う。

村上龍「限りなく透明に近いブルー」(講談社文庫)

米軍基地の街・福生のハウスには、音楽に彩られながらドラッグとセックスと嬌声が満ちている。そんな退廃の日々の向こうには、空虚さを超えた希望がきらめく―。

村上龍は高校の頃「69」を読んだ。ちょうど映画化したかなんかで、平積みされていたのを買って。その頃の私はウブでピュアだったので、タイトルの意味はわからず(単に1969年ということですよん)、脱糞するシーンだけ覚えている。どちらかというと某経済番組とか13歳のイメージが強い。
正直いうと、前半はあんまり入りこめなかった。セックス、ドラック、ロックンロールのノリで、まあ摂取して、米兵達と乱行騒ぎをしてめちゃくちゃなわけだが、主人公の視線がクールで淡々と描くからそこまで驚きがない。と感じてしまう自分もどうなのかと思うけれど、中盤、日比谷公会堂でのシーンあたりから、胸に迫ってくるものがあった。暴力と狂気って静かなほど怖いというか、最後のほうの長台詞が面白かった。登場人物が結構出てくるのだが、入れ替わり立ち替わり、ぼんやりとしたイメージで入ってくる。
主人公がフェなんとかをするところはちょっと可笑しかった。こんな現実があったなんて、という感じですかね、はい。昔の氏はハンサムなのかしら。

中島梓「新版・小説道場1」

中島梓=栗本薫、評論家と作家のそれぞれの立場から小説創造の楽しさ、小説作法の厳しさ等々を、具体的かつ実践的に説き明かす。

「グイン・サーガ」シリーズで知られる栗本薫、の評論家名義、中島梓による雑誌連載をまとめたもの。「JUNE」(雑に言うとBLの元祖)という広義の少年愛を示すまでになる同名の雑誌での長期にわたる連載も凄いし、そこから数々の弟子がデビューしている。師弟愛に満ちた中島の姿勢が文章からひしひしと伝わってきて、軟派で自信満々なところも、決してはったりではないことがわかる。意外とステレオタイプなところもあって、時代によるところも大きいとは思うのだけれど、まず型があって、普遍的ななにかがあってというところから始まるとすれば、納得出来ることではありましょう。
あとがきは必読。あとがきのために買ってもいいと思えるほど。JUNEと少女の関係について、大人との違いについて語り、JUNEは愛の小説だと続いたのちにアナル・セックスでならなければいけない理由について続き、生殖の論理から逃れて目的のないアナル・セックスについて、初期の作品に漂う悲壮感の理由が語られています。全部引用したいくらいの密度。眼福いたしました。電子書籍として手軽に手に入れられるのは助かりました。

私の考えによればJUNEとは「愛の小説」であり「孤独の小説」であり「存在と魂のふれあい」を求める小説群なのであって、べつだん本当は美少年どうしのアナル・セックスの話に限るわけでなどありはしないと思っています。(「新版・小説道場1」より引用)

恩田陸「ロミオとロミオは永遠に(上)」

日本人だけが地球に居残り、膨大な化学物質や産業廃棄物の処理に従事する近未来。エリートへの道は唯一、「大東京学園」の卒業総代になることであった。しかし、苛酷な入学試験レースをくぐりぬけたアキラとシゲルを待ち受けていたのは、前世紀サブカルチャーの歪んだ遺物と、閉ざされた未来への絶望が支配するキャンパスだった。やがて最下級の「新宿」クラスと接触したアキラは、学園の驚くべき秘密を目にするが…。

再読。男の子たちとサブカルチャーへの愛に満ちたSF作品。希望があるわけではないのよん。でも男の子たちだったり、アキラとシゲルの関係の美しさに魅了されるの。クラス分けが東京都の23区を模していたり、高校生クイズと思しき乾いた爽やかさ、毎月の壮絶なテスト、異常ともいえる某教師。サブカルチャーが過去の遺産として地下に残るという謎のワクワク感がある。巻末に用語集があって、うんうんと頷きながら、また本文の伏線を楽しみながら、好き嫌いはありそうだが、私としては好きなものが詰め込まれたジューシィな腸詰のような作品なのです。
脱走物だけれど、約束のネバーランドとは趣がかなり違います。


断捨離を推し進めた結果、男の子が寄ってこなくなりました。