私をわざわざ生かすために私がある

炎天下、1時間家の周りを徘徊したりしている。
灼熱のコンクリートの上でソワソワ感を踏み潰すように、せかせかと歩いている。
いつか他人になって生きてみたいという絶対に叶わない夢を思いついた。もう自分に飽き飽きしている。

脳がまとまらなくなってから、いろんな人に励ましのように、どんな自分も自分だからねと言われる。全部自分だと思えば、絶望を希望に思えるのだろうか。全部自分だから、私は絶望してる。
私は生きれば生きるほど私と孤立していく。理性か感情のどちらかが私を殺すしかない。私で生きることが苦しい。戻りたい、まともになりたい。
いつからか、厄介な私をわざわざ生かすために、私は故障を繰り返しながら生きているのだ。

昨日通院日だった。ずっと拒んでいたけれど、躁鬱と向き合うことにした。

生きるということは引き返せない道を歩き続けるということで、過去のすべての選択には意味などないということなのだと思う。

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