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ストーリーはあってもなくても〜とあるリングとの出会いについて

私の左手には、人差し指に初代演歌リングである「月の雫」が、薬指に2代目演歌リングであるココクラッシュミニと結婚指輪が嵌っている。

今はココクラッシュのツヤ消し化がだいぶ進んでいる

次は右手の人差し指に、月の雫と対になるような大きめの石がついたインパクトのある指輪が欲しい。そう思い始めたきっかけは、100本試着noteに書いたように「涙を流している月=インナーチャイルドを照らし、暖める太陽を身に纏いたい」と考えたこと。だから、石の色は深いオレンジ〜赤がいいなと思った。

それから数ヶ月が経過し、先日ついに、イメージ通りのリングを無事お迎えすることができた。その間の思考と行動の記録を残してみようと思う。


長旅の予感

リングを探し始めてから、心当たりをひたすら検索&突撃するも空振り続き。ならばとインスタで目についたジュエリーショップを片っ端からフォローし、目ぼしいお店にいくつか足を運んでみるも、実物はどれも写真より色が暗すぎたり浅すぎたりしてイメージとは異なっていたし、色が良いなと思うものはサイズが小さい。

マベパールと対のリング、となるとそれなりのサイズ感が欲しい。いい感じのごろっとした石は薄い青〜緑なら割とよく見かけたのだけど、赤系だとほとんどない。色んなお店で話を伺った結果を総合するに、どうやら赤系の天然石でそれなりに大きさのあるものはなかなか採れないらしい(つまりお値段も…ゴニョゴニョ)。

さらにネックになったのがデザイン。中心線をやや外側にずらす、という個性的なデザインのマベパールと並んだ時に、違和感がなく、それでいて負けることも邪魔することもない、何ならお互い引き立て合うようなデザイン…それって一体、何?

丸い石が中央にセッティングされたプレーンなリングを並べると、わかりやすく物足りない。オーバルとか変化球系の形状なら、まぁ悪くはないかな? という感じ。かと言って一目でブランドがわかるような大物リングだと、それはそれで世界線が交わらなさすぎてツラい。え! マベちゃんあなた、意外とワガママね?!

色と大きさとデザイン。3つの点で、私のリング探しは早々に暗礁に乗り上げた。これはもう、何かの縁でいい感じのルースにたまたま出会い、ジュエラーさんにご相談しながら仕立ててもらうしかないんじゃないか。いや何その神頼み。でも本当に手立てがさっぱり浮かばない。長期戦の気配に、リング熱は一旦下火になった。

ヒント

転機が訪れたのは、5月にもとこさんと訪れたコムデギャルソン青山店。2階のアクセサリーコーナーを通りかかると「色」が目を引いた。深い海のようなピアス。冬の湖のようなペンダント。その脇に、ゴロンとした大ぶりの赤いリングがあった。ボリューミーで直線的なデザインがとても印象的で、色は混じりっ気のない深紅。

聞けばそれは、日本未展開のバカラのリングだった。

試着すると、色も形も手にスッと馴染んだ。かなり惹かれたものの、人差し指サイズの在庫はなし。ただアームがシルバーでかなりゴツめだったので、サイズがあったとしてもおそらく見送った。アームはできればゴールドがいいし、これまでの試着旅から見た目も着け心地も細いアームの方が自分好みだとわかっている。

それでもバカラの赤はとても良かった。色の深さと透明度がまさに思い描いていた通り。しかもデザインのインパクトがちょうど良く、マベパールとの相性も良さそうだ。なるほど、クリスタル、アリかもしれない。この色でこの大きさの天然石にはまずお目にかかれないし、あったところで私には手も足も出ないお値段だろう。

そういえば今までずっと、貴石にばかり気を取られていた。え、ちょっと待って。もしかしてバカラに赤×ゴールドのリング、あったりしない? 「我々今日何も買わなかったねエラかったね!」ともとこさんと健闘(?)を称え合いながら就いたその日の帰途、急に浮上した可能性に賭けて早速スマホで検索。そしたら案の定。

画像は公式サイトからお借りしました

けっこうあるじゃない、赤×ゴールド! しかも、すっごく良さそうじゃない……?長期戦を覚悟していたリング探しの旅に、意外な角度から突然光明が差したことに狐につままれた気分だった。

後日バカラに足を運んでみたところ、サイトで見たものはどれも店頭になかった。聞けばリングはそもそも生産数が多くないようで、いずれも国内在庫1〜2点のみ。試着したいので実物を見られないかと伺うと、快くお取り寄せの手筈を整えてくださることに。特に気になった2型について、入荷連絡を待つことにした。

解放

話は多少前後する。

ギャルソンでバカラに出会う直前のこと、家族3人で私の実家に帰省した。

実家の母とは昔から(一方的に)一悶着ある。さらにここ数年の帰省で、母が明らかに幼児の扱いに慣れていないことに気がついてしまった。それはつまり、母が幼い私と触れ合ってこなかったということ。今更ながらそれをまざまざと思い知らされることは、精神的にも物理的にも途方もない疲労感をもたらした。

自力で歩けて食べることはできても甘えん坊かつ超やんちゃ、いつどこへ飛び出し何をしでかすかわからない娘。その様子に全く構うことなく自分の話ばかりし続ける母。いろんな意味で夫がいてくれてギリギリセーフ、それでも前回の帰省ではぐったり疲れ切ってしまったし、今回も相応のダメージを覚悟していた。

ところが。

今回、帰省から戻ったところでじっくり自分の心と体を観察してみると、体はさすがに疲れていたが、心は存外平気なのだ。どういうわけか、昨夏盛大に感じていたイライラ・モヤモヤがない。前回の帰省時、というかこれまで長い間ずっと、母のことを頭に思い浮かべた瞬間に

なんでいつもそうなの!
どうして今それを言うの!
もっと〇〇して欲しかったのに!

…と、とめどなく不満と文句と恨み節が溢れ出し、あっという間にドス黒い感情が胸いっぱいに膨れ上がるのが常だった。ところが今回、それがない。起きたことはそれとして、特に何とも思わない。感情の波が立たない、というか。

もしかしたら、曲がりなりにも1年間クンダリーニヨガを続けてきたおかげかもしれない。あるいは自問自答を通じて、自分の快・不快を細かく観察することが習慣づいたからかもしれない。運動も瞑想も心の観察も、なんとなく全部効いてそう。メカニズムとかが全くわからないのでここでは深く立ち入らないが、ともあれ。


あんなにも長かった母との葛藤、なんか知らんけど、終わったっぽい。

うちのインナーチャイルド、なんか今わりかし健やかっぽい。


えっと…、概念太陽、もしかしていらなかったりする…?


1人きょとんとなったところへ、追い討ちでこんなフレーズが転がり込んできた。

自分を大事にすることは、モノに頼らなくてもできます。

昼田祥子『1000枚の服を捨てたら、人生がすごい勢いで動き出した話』

ぎくり、とした。

このところの私、モノにやたら背景を負わせようとしすぎてやしないか。いや、モノに何か思いを託すのは別に悪いことではないと思う。問題は、モノが欲しいからって無理にストーリーを捻り出そうとしてるんじゃないかってこと。現にうちのインナーチャイルド、太陽リングなんてなくてもけっこう元気にしてるっぽいし。

バカラから入荷連絡が来たのは、ちょうどそんなタイミングでのことだった。

そうだ、赤いリング、実物はまだ一度も目にしていないのだ。こうなったらもう、概念太陽云々は一旦脇に置いて行こうと思った。シンプルにモノと向き合った時に、私は何を感じるか。ごちゃごちゃ考えない。ただ自分の心の動きをよく見て、どうするか考えよう。そう思いながら電話を切った。

邂逅

楽しみに訪れたバカラの店頭で、ついに対面したリング。結論から言うと、一目見た瞬間にお取り寄せしたうちの1本にロックオンだった。

色、最高。深くぽってりとした赤は、ギャルソンで見たシルバーコンビよりさらに艶っぽく、どこかブランデーめいた濃度があるように思われた。アームのイエローゴールドがクリスタルの赤と呼応し合い、ゴールドはよりまろやかに、赤はより深く照り映えている。輝きがあるのにちゃんと質量を感じる色。これは私の仲間だ。

大きさ、よし。デザイン、天才。マベパールとほぼ同じ大きさのクリスタルは存在感十分。それが丸ではなくスクエアで、しかも菱形にセッティングされているのが心憎い。シンメトリーな変形デザインはマベパールと見事に調和が取れている上に、私の短い指を少しだけすっきり見せるのにも一役買ってくれている。

色・大きさ・デザイン。全てのハードルを楽々とクリアしてくるリングを前に、もはやストーリーなど過りもしなかった。これは私が探していたもので、私にとって必要だ。ただシンプルにそう思った。

ピント合ってないし
しかも左手だし
サイズ感はほぼ同じ!

こうしてnoteを書いてみたことで、改めて昼田さんの本の一節を思い返している。私がハッとさせられた先ほどのフレーズは、「高いパジャマに憧れて買ってみたものの大して着なかったからやめた」というエピソードの中に登場する。少し長くなるが、前後の文章も含めて引用させていただく。

 以前の私は、部屋着だってこだわりたいと思っていました。でも可愛いパジャマに替えてみたものの、おうちタイムをゆっくり過ごす時間は少なく、せっかく買った高いパジャマはいつのまにかクローゼットの化石になっていました。

 誰にも見られないのに、素敵な部屋着で過ごすことになぜあんなにも憧れていたのか。結局のところ、頑張っている自分を労ってやりたかったのだと思います。優しい肌触りのパジャマに触れ、自分を大事にしている感覚を味わいたかったのかもしれません。

 自分を大事にすることは、モノに頼らなくてもできます。見逃しそうになる小さな本音に聞く耳を持ってやればいいだけ。外側の何かに補ってもらう必要はない(以下略)。

同 pp.160-161、強調は筆者

昼田さんは「モノなんかなくていい」などと言いたいわけではないだろう。ただ、「他人軸の買い物で自分が心から満たされることはないし、なんとなく買ったモノを愛し抜くのは難しい」ということなんだと思う。モノを持つのなら、自分の責任で。モノに価値があるのは、あなたが自分の心に従って自分で選んだからだ、と。

自分を大事にすることは、モノに頼らなくてもできる。だけど、美しいモノが目に入るたびにニッコリして何度も見つめてしまったり、肌に触れる感触に心が沸き立って意味もなくすべすべと撫で回してしまうのなら、そのモノは十分、自分の力になってくれていると思う。そこにストーリーはあってもいいし、なくてもいい。

モノなんてなくていい、とは思わない。でもモノさえあれば大丈夫、でもない。

そのどちらかに偏らないように気をつけたいな、と思う。そして今回、買うまでのストーリーにやたらこだわってしまった私だけど、モノは生活において日々使われるためにある。そういう意味では、お迎えしたモノとこれから過ごしていく日々の方こそ本当のストーリーなのかもしれない。今は、そう思っている。



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