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ワタクシ流☆絵解き館その161 青木繁「大穴牟知命」⑧ ヒメの裾に見る「雲」と「泉」

青木繁 「大穴牟知命」 1905年 油彩  アーティゾン美術館蔵

■ 二人の媛(ヒメ)の裾の様子が異なっている

この「大穴牟知命」の読み解きシリーズの中で、二人の媛(ヒメ)の描き分けが意味するものについて考察して来たが、今回は、裾の流れ方がはっきりと異なる点に着目した。
キサガイヒメ(左側)の裾は、「雲」の形
ウムガイヒメ(右側)の裾は、「泉」の形

をなしている。そして、「雲」の形の裾の方は、「泉」の形の裾に比べ、ずいぶんと長く尾を引き、雲がなびく様子そのものに見えて来る。それを下の図版で示す。
意識的な構図なのではないだろうか。それは即ち
「雲」⇒天
「泉」⇒水

を示しているのだろう。

「泉」と見たとき思い浮かぶのは、青木繁「わだつみのいろこの宮」の井戸とカツラの木の部分だ。
「わだつみのいろこの宮」の豊玉姫が、海底に湧き出る井戸という、神秘の深みを感じさせる場所に立つ構図とつながるかのように、ウムガイヒメは、膝から下が、どうなっているのかよくわからない描き方で、裾を「泉」の形に模することで、あたかも水の中から立ち現れたような、いわば水の女神とも言えるイメージを、生み出しているように感じとれる。

■ 聖なる水で命を吹き返した大穴牟知命

またウムガイヒメは乳房を露わにし、母乳を絞るしぐさをしている。それにより母乳の滴り、のイメージが重なっている。泉、滴り…水に濡れたイメージが立ち上がって来るのだ。
「古事記」には、キサガイヒメが、赤貝と言う説のある貝をキサギ(=削り)集めた粉を、清水で溶き乳液状態にして、大穴牟知命の体に塗りつけたと記述されている。それが大穴牟知命を蘇生させたと。
それは、多くの国の神話に出て来る、万能の力を持った聖なる液体のバリエーションとみなされるだろう。

■ 蘇りは天つ雲のなびくがごとく

ワタクシ流☆絵解き館その72とその82の、「大穴牟知命」の絵解き記事において、この絵は、大穴牟知命の、死の姿と蘇りの兆しを照らし始めた瞬間の姿が同時に描かれていて、左半分は、大穴牟知命が蘇らんとすることを示唆するものに彩られていることを述べて来た。
たとえば、
体の脇から真っすぐに、青々と延びる茎、
差し込む光を受けて照り映える胸板、
開かれんとする手指と唇、
蘇生に気づいたキサガイヒメの視線、
などをその表象として挙げて来た。
その彩のひとつとして、キサガイヒメの裾の「雲」も加えられるだろう。天つ雲のなびくような裾に、身をもたげるべく動き始めた大穴牟知命の姿を象徴させている。
そして、水の女神ウムガイヒメのイメージに対し、キサガイヒメの方は、天から来た、まさに雲に乗る天女のイメージを与えていると感じられる。
紫雲に乗る天女は、仏教の伝来とともに広がったものだから、「古事記」の世界とは折り合わないが、大穴牟知命の母神サシクニワカヒメが、息子の蘇生を願って遣わした天より降り来る者のイメージには、つながっていると言える。
雲の形象が選ばれたのは、大穴牟知命は、八雲立つ出雲の、国造りの神(出雲大社のご祭神)であることが、画家の想念にあったことと、その八雲立つという表現が示している、不死の、豊穣の、躍動のイメージが、蘇生の場面に似つかわしいからであろう。

■ ひねり、曲げられた大穴牟知命の姿が示すものは…


上のことを念頭に置き直せば、よくこの絵の欠点と指摘される大穴牟知命の、一見、描画のテクニックの問題にされてしまいがちな、ちょうど絵の中央を境に、異様に見えるほどにひねられた格好の寝姿が、実は、上半身下半身が異なる次元にあるものだと強調するために、構図されているものだとわかって来る。
そして、背景の雲の色は、蘇生なった歓喜を表現して明るいのだろう。その色は、大穴牟知命の胸板を明るく染めているひかりでもある。

                   令和4年7月    瀬戸風  凪
■ ご案内
以前の「大穴牟知命」の絵解き記事は、下のタグの「明治時代の絵」が、その入り口になっています。興味を持たれた方は、お読みください。





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