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ワタクシ流☆絵解き館その168 dream-like days ♡ 絵で会おうよ、(ちょっと昔の) 夏のこどもたちに。

■ 牧野虎雄

牧野虎雄は明治23年生まれ。東京美術学校西洋画科卒業。在校中文展初入選。帝展には作品を出し続けた。槐樹社を創立、その解散後は門下生を率いて旺玄社を創立した。
下の絵を見ていると、貧しくも質朴な感じがするが、描かれた当時を思えば、日傘とか、真っ白なワンピースとか、遠景に水着の女性がゆく姿とか、しゃれたところのある、清新な雰囲気を意識していたのではないだろうか。

牧野虎雄 「凧揚」 油彩 1924 年大正13年 第5回帝展出品  東京国立近代美術館蔵
牧野虎雄 「秋近き濱」油彩 昭和9年(1934年) 新潟県立近代美術館所蔵

■ 川上四郎

川上四郎は明治22年生まれ。東京美術学校西洋画科卒業。コドモ社に入って童画家となる。96歳の長寿を保った。描く絵の中に、こどもとしての自分がそこにいるような童心を持ち続けた人だろう。
少し器用なら川上四郎の絵柄は模倣できるだろうが、絵の情感は写し取れない気がする。全体の色調が響き合う真似できない柔らかさがある。
幼い日の情景を描くと、万人が万人とも、異なる情感を描き出すのではないだろうか。

川上四郎「ひまわりの下で」子供研究社刊「お話の木/第1巻3号」口絵より 昭和12年

■ 画家不明

「芋畑」 子供研究社刊「お話の木/第1巻第5号」口絵より 昭和12年

■ 渡邉審也

渡邉審也は、明治8年生まれで浅井忠、松岡寿の門下。太平洋画会の創立に参加。時事通信社に入社して挿絵を描いた。
東宝映画「次郎物語」―昭和62年(1987)制作・公開作品に、川の中で遊ぶ大正時代の子供たちのシーンがあったのを下の絵からは思い出す。
「風の又三郎」の世界も連想させ、また小学生でも、姉妹兄弟の幼児を子守するのは、大人の代わりにお姉さん、お兄さんに割り当てられた役目だったことにも思い及ぶ。

 渡邉審也 石版画「亀の子」 時事新報社「少年/第24号」明治38年

渡邉審也は今日、ほとんど知られることのない画家なので、もう一枚紹介しよう。

渡邉審也 「猿箕」 明治美術会明治三十一年十年紀念油絵展覧会出品
「日本美術画報 第五編第三号」(1898年9月)より

■ 太田三郎

太田三郎は明治17年生まれ。大正時代に渡欧。帰朝後は裸婦を主とした作品を官展に発表した。のちに帝展審査員。雑誌・新聞等の挿絵も多く描いた。下の絵はその一例。
浮世絵でよく見かける川の中の立杭の情景は、船が輸送手段の主役であった昭和中期までは、ごく普通に見られたことを思う。
戦後の経済発展により、国土は姿を変えたが、川べりの風景が、最も大きく変貌したのではないだろうか。
戦前から車による輸送はあり、戦後急速に土道が舗装化されて、よりいっそう車輸送は拡大していったわけだが、河船を使った運送の方は、全くと言っていいほど姿を消した。
川を行くのは、父の乗る舟に見えて来る。釣りをしているふうでもない少年が、近づいて来るその舟をただ見つめているという、夏の昼下がり時刻を思わせるそこはかとない郷愁。

太田三郎 「利根川」 聚精堂刊雑誌「学生文芸/第1巻第1号」口絵より 水彩 1910年9月

■ 山下新太郎

山下新太郎は明治14年生まれ。東京美術学校で青木繁と同期。フランス留学、エコールデボザールに学ぶ。大正3年、二科会を結成。のち退会。昭和30年、文化功労者。
お屋敷の庭か、避暑地の別荘にいるのかと思わせる、裕福そうな家庭の少女の風情。ちょっとハイカラな雰囲気を山下新太郎は好んだし、見る方もそこに惹かれた。眠りから醒めれば、ソーダ水が運ばれてきそうだ。
こんな句がある。
「一生の楽しきころのソーダ水 」 富安風生

山下新太郎「椅子に眠る子」アトリエ社「アトリエ画集第4/人物画選集」より 昭和6年

■ 石井柏亭

石井柏亭は、風俗画の第一人者と言える。目に映るもの、触れるものをたちまちに描きとっていた人だろう。こんなふうに品よく描かれた麻雀の情景は、類がない。

石井柏亭「麻雀」水彩 アトリエ社「アトリエ画集第4/人物画選集」より 昭和6年

「算術の少年しのび泣けり夏」
西東三鬼のこの句を思い出す。この絵の少年の年頃、数学が出来ず途方に暮れていた筆者の記憶が、この句と絵を結びつけるのだ。

石井柏亭 水彩 アトリエ社「洋画実技講座第4巻」より 昭和12年

■ 足立源一郎

足立源一郎は、明治22年生まれ。関西美術院で浅井忠に学ぶ。春陽会創立に参加。画家後半生は、山岳風景画家となった。
絵の中の少年は、(行くところもないのに、夏休みって長いなあ)という表情に見えて来る。それも筆者の過去の記憶がなせること…。

足立源一郎 「人物画の描き方」より 水彩 昭和15年

■ 赤城泰舒

赤城秦舒は明治22年生まれ。水彩画家。日本水彩画会創立者の一人。こどものいる情景を、つまり身近にいる愛すべき者を、てらうことなく赤城秦舒は何枚も描いている。
画家の子息がモデル。父のために、じっとポーズを取り続けている少年の心を思うと、いい時間が塗りこめられた絵だと感じられてくる。

赤城泰舒「ギターを弾く少年」昭和3年 水彩 静岡県立美術館蔵

■ フェルディナント・ホドラー

1853年―1918年。スイスに終生暮らした象徴主義の画家。大原美術館に「木を伐る人」がある。
筆者の経験を言うと、大原美術館で何度も「木を伐る人」を見ていながら、ホドラーの魅力は理解できていなかった。noteで青木繁の記事を書き進むにつれて、ホドラーの画力と真価に、遅ればせながら気づいた。
下の絵から連想したのは、マラソンランナーの表情だった。

ホドラー「魅せられた少年」油彩 1909年 シュテーデル美術館蔵

■ 脇田和

脇田和は明治41年生まれ。97歳の長寿だった。ドイツに渡り、美術を学ぶ。下の絵には、長くヨーロッパの文化に直接触れた画家ならではの、当時の日本人画家一般の感覚からは「抜け出た感じ」が出ていると思う。
帝展、光風会展に出品。のちに新制作派協会を創立。こどもの姿は、脇田和にはモチーフとして重要だった。

脇田和 「初夏」多色刷り版画 子供研究社「お話の木/第1巻第2号」より 1937年(昭和12年)

脇田和のイラストは今日、紹介されることが稀なので、もう一枚紹介しよう。

脇田和 社会教育連合会雑誌「なかよし」 表紙絵 1945年(昭和20年)

■ 片多徳郎

片多徳郎は、1889年―1934年。東京美術学校を卒業。在学中に文展入選。のちに帝展審査員。
可愛くてたまらない、という思いがにじんでいる絵だ。幼い子のために、すばやく仕上げている画家の思いも、その筆触から見えてくる。

片多徳郎 「芙蓉」 油彩 1924年(大正13年) アーティゾン美術館蔵

■ ジェシー・ウィルコックス・スミス

ジェシー・ウィルコックス・スミスは1863年生まれ。アメリカの女性イラストレーター。雑誌のカバーイラストが最も、世間に周知されている。
日本の画家でその位置にある人を考えると、やはり、いわさきちひろの名を挙げたい。
どの絵を選ぶか迷う。どの絵も、彼女にのみ、それを描くべく天が切り取って与えてくれている一瞬としか思えない、現実の写実世界でありながら夢幻空間だ。

ジェシー・ウィルコックス・スミス 「子猫ちゃん好き」

                  令和4年8月   瀬戸風  凪


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