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ワタクシ流☆絵解き館その195 一流画家たちのアルバイト画業を見る②👉岸田劉生編

現在では、名の知られた日本の画家たちが、どこかの学校の図画教師という定職を得ない限り、年に何枚かの絵を売れば暮らしが立つといった、夢のような暮らしでなかったのは、挿絵・口絵・装丁という副業に努めているのが証明している。
今回はこの画家でもそうなのかという感があるが、ビッグネーム岸田劉生の副業を探る。

■ 挿絵の中のさまざまな麗子

自分の娘麗子を、タブローで何枚も描いている劉生の、挿絵仕事の題材にも、麗子像とはタイトルにはないが、モデルは麗子だろうと思わせる少女の姿が出て来る。以下に並べる。

岸田劉生 挿絵「お手玉をとる少女」1919年4月 芸術社発行 雑誌「芸術/第2巻第4号」
岸田劉生 挿絵「童女図」1923年 4月  早稲田文学社発行 雑誌「早稲田文学/大正12年4月号」
岸田劉生 挿絵・無題 1926年4月発行  日向新しき村出版部  雑誌「新しき村/第1巻第1号」
岸田劉生 挿絵・無題 1931年2月 日向堂編「星雲/第2号」

挿絵という分野の特徴ではあるが、それにしても、タブローの麗子像に対照すると、実に軽いタッチだ。
ただし、タブローに比べて、あっさりとやや可愛らしく描く意識は見える。

■ 挿絵の中の童子たち

劉生の謎といってもいいと思うが、名作「切通の写生」に見られる、そっけないほどに乾いた眼による風景写生の一連の作品があって、また一方では、細部をじっと見つめる鋭さはあるが、こどもの表情やしぐさに無心に引き付けられている温かさも、作品に現れて来るというところだ。
ふたつの命題を抱えていた画家と言える。

岸田劉生 挿絵・無題 1918年12月 芸術社発行 雑誌「芸術/第1巻第2号」
岸田劉生 挿絵「村の娘」1919年2月 芸術社発行 雑誌「芸術/第2巻第2号」

この挿絵と全く同構図の油彩画がある。

岸田劉生「村の娘」油彩 制作年1919年頃
岸田劉生 挿絵「二童喜遊」1923年 1月  早稲田文学社発行  雑誌「早稲田文学/大正12年1月号
岸田劉生 挿絵・無題 1928年4月発行  日向新しき村出版部  雑誌「新しき村/第3巻第4号」
岸田劉生 挿絵・無題 1925年2月 不二社発行 雑誌「不二/第2年第2号」
岸田劉生 挿絵・無題 1926年1月 不二社発行 雑誌「不二/第3年第1号」

■ 写実を極める画風からは距離を置いた俳味

一般的には、麗子像や乾いた地面の絵でしか岸田劉生の絵は知らないだろう。少女や童子なら、挿絵にも劉生の匂いがあるが、下に並べた絵では、劉生?と思う。
各雑誌の特色に合わせた絵柄を、きっと楽しんで描いているのだろう。

岸田劉生 挿絵「竹林探笛」1922年 11月  早稲田文学社発行雑誌「早稲田文学/大正12年11月号」
岸田劉生 挿絵「放牛図」 1923年 6月  早稲田文学社発行 雑誌「早稲田文学/大正12年6月号」
岸田劉生 口絵「1927年5月 ホトトギス社発行 俳誌「ホトトギス/通巻第369号」
 東京日日新聞社編 春秋社刊「大東京繁盛記・下町篇」昭和3年 
岸田劉生 挿絵「新古細句銀座通」

                  令和4年10月    瀬戸風  凪

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